ひとつ前の当ブログで、川谷拓三さんが「南国土佐を後にして」を吐き出すように唄う『狂った野獣』(1976 中島貞夫監督)について書きました。

その中でも書きましたが、主演の渡瀬恒彦さんは自らハンドルを握ってバスを横転させるシーンをスタントなしでやってのけました。そんな不死身の役者魂を持った男・渡瀬恒彦さんは2017年3月14日、まだ72歳という若さでお亡くなりになりました。お兄さんの渡哲也さんより先にあちらに行ってしまわれたのです。

思い出すのは、シネマ・ヴェーラで「中島貞夫監督特集」をやったとき、その初日にゲストで登場され、中島貞夫監督とのトーク・ショーです。2011年8月27日(土)のことです。その日の上映作『鉄砲玉の美学』(1973 中島貞夫監督)についての話が中心でした。この作品はATGで撮られたもので、東映から一部製作費が出たものの、製作のための会社を作らなければならないので中島監督は鈴木則文監督や天尾完次さんなどとお金を出し合ったのだそうです。

そんなこんなで、予算がないところに渡瀬さんが「監督、何かやるんだって?」とどこからか聞きつけてきて出演を熱望してきたとのこと。渡瀬さんは「東映に入ったものの、鶴田浩二さん、高倉健さんなど大スターがいて、“上”が混んでる状態。“下”にいて何とかしなきゃとのたうち回っていた」とおっしゃっていました。同じように「自分たちの映画を作りたい!」と飢えていたスタッフ、キャストが終結して撮影されたのです。

東映スタッフはいつもの半分の報酬、監督料はもちろんタダ、渡瀬さんにもギャラは払っていないといいます。それどころか、劇中のフェアレディは渡瀬さん自身の車で東京からロケ地の宮崎まで乗って来たというし、カバンとかも私物、とほとんど持ち出しで参加している渡瀬さんの思い入れが伝わってきます。

予算がないから殺陣師も雇えず、技闘は俳優に任せられていたそうです。前日の撮影で手にガラスが刺さって病院で縫ってもらったばかりの渡瀬さんは翌日の川谷拓三さんとの殴り合いシーンを強行、途中で糸が切れて本当に血を流しながらの撮影になったそうです。

先述の『狂った野獣』でスタントなしでバスを横転させるという荒業のときも中島監督が一言いえば、大型免許取ってくる、バスを横転させると当たり前のようにやってくれたとのこと、中島監督は渡瀬さんを「純粋性みたいなことでは、あいつ以上の奴はいないよ。本当に凄いよ、彼の持つ純粋性は」と語っておられました。『鉄砲玉の美学』のときも、中島監督は「目がピュアすぎる。もっと濁っていかないと」と思ったほどだったと言います。

実際、渡瀬さんは照れ屋のようで、このトークショーでも満員の観客を前にして「凄まじく恥ずかしいですね」が第一声でしたが、中島監督と話しているうちにほぐれてきたのか、『鉄砲玉の美学』の原型となった『現代やくざ 血桜三兄弟』(1971 中島貞夫監督)で共演した荒木一郎さんについて「俳優として刺激し合った。性格は全然違うんだけどね」と言ったあと、「性格は僕の方がいいです」と続けるなどユーモアを交えて話をされました。  (ジャッピー!編集長)