ひとつ前の当ブログに、僕が初めて観た鈴木清順監督作品が『けんかえれじい』(1966 鈴木清順監督)で、劇中の桜がハラハラと落ちるシーンが印象に残ったと書きました。モノクロ映画ですが、そこに僕は「色」を感じていたのかもしれません。

一般的には「清順美学」と呼ばれる特徴が表れたのは1963年あたりと言われています。『くたばれ悪党ども 探偵事務所23』(1963 鈴木清順監督)は宍戸錠さんが清順作品に初主演した作品で、クラブで唄ったり、チャールストンを踊ったりとノリノリです。地下室に監禁された錠さんが天井に向けてマシンガンを撃ちまくり、アスファルトをぶち抜いて(!)外の警察に知らせるという派手な見せ場があります。

続く『野獣の青春』(1963 鈴木清順監督)は、同じく大藪春彦さんの原作によるハードボイルド映画ですが、これこそ「清順美学」の起点とされることが多い作品です。たしかに、窓の外に突如現れる黄色い砂塵、モノクロに浮かぶ赤い椿、青く塗られた部屋など原色を大胆に配した色彩に目を奪われます。のちに『刺青一代』(1965 鈴木清順監督)で高橋英樹さんが次々に襖を開けると広がる原色の空間やら、『肉体の門』(1964 鈴木清順監督)の4人の女の色分けなどにつながっていきます。ちなみに、『ラ・ラ・ランド』(2016 デイミアン・チャゼル監督)にこの「色分け」が引用されてましたね。

しかし、こうした清順美学といわれるものが突如『野獣の青春』で開花したというわけではないと僕は思うのです。『勝利をわが手に 港の乾杯』(1956 鈴木清太郎監督)でデビュー(1958年に清順に改名)。以後、歌謡映画、ギャングもの、和田浩治さん主演の「小僧アクション」など、ずっといわゆるB面映画を撮り続けてでいた清順監督がその一作一作を作っていく過程で、何とか観る人の目をひくように、楽しませるようにと工夫していくうちにだんだん「凝った」ことをするようになったのではないでしょうか。「あてがいぶち」の企画を何とかしようと知恵を絞り、ベストを尽くしてきた集積が「清順美学」となったのだと思います。

ですから、『野獣の青春』以前の作品にすでに「清順美学」の胎動はあったはずだし、かつての各映画会社がそれぞれの撮影所で量産していた時代、その広い裾野の中で、職人として技を磨き、試行錯誤するうちに「作家性」が生まれたのではないでしょうか。

そう考えると、『紅白歌合戦』で派手な衣装を着たり、その司会ぶりなど、観客を楽しませゆとした鈴木健二アナウンサーと同じようなものを感じます。風貌もキャラクターも正反対のお二人ですが、やっぱり核のところは似ていたのかもしれません。(ジャッピー!編集長)