ひとつ前の当ブログに書いたように、日活は『ハレンチ学園』(1970 丹野雄二監督)を1970年のゴールデンウイークに『女番長・野良猫ロック』(1970 長谷部安春監督)との二本立てで公開しました。

当時、話題になった永井豪さんのマンガを映画化したこともありヒット、立て続けに『ハレンチ学園・身体検査の巻』(1970 丹野雄二監督)、『ハレンチ学園・タックルキッスの巻』(1970 林功監督)と公開されます。これら3本で「十兵衛」を演じたのが児島美ゆきさんでした。

そして、続く『新・ハレンチ学園』(1971 林功監督)の主役「十兵衛」になったのが渡辺やよいさんです。渡辺やよいさんは東映児童演劇研修所の出身、このとき高校生でした。林監督の「撮影ではスカートをまくられたり、水着姿になったりいろんなことをやらされるが覚悟はできていますか?」と訊かれても「ハイ!平気です!演技ですもの」と元気に答えた渡辺さん、女優としてのスタートに希望でいっぱいだった様子がうかがえます。

初代「十兵衛」の児島みゆきさんも東映児童演劇研修所にいた(渡辺さんの1年先輩)ので、渡辺さんもそれに続こうと思ったのでしょう。見事に合格、「二代目・十兵衛」に決まり、『新・ハレンチ学園』は1971年1月3日に「お正月映画」として公開されましたから、渡辺さんは相当な期待がかけられていたと思います。僕は、のちに名画座で『新・ハレンチ学園』を観ていますが、内容を全く覚えていません……。(僕は観た作品のタイトルを記録しているので確かに観ているのに……)しかし、キュートな渡辺さんは児島さんよりも「十兵衛」役にピッタリという印象を持ちました。

日活の業績不振は深刻で、『新・ハレンチ学園』はシリーズ化されることもなく、渡辺さんの十兵衛は1本で終わってしまいます。この年の11月には日活は「ロマンポルノ」体制となります。渡辺さんは研修所時代の縁もあってか東映に移籍しますが、当時の東映は「スケ番」ものが多く作られ、池玲子さん、杉本美樹さんといった強烈な個性の若手女優が人気を集め始めていました。

渡辺さんはもっぱら脇で脱ぐ役が多くなります。それも、『女囚701号・さそり』(1972 伊藤俊也監督)で梶芽衣子さんと一緒に脱獄するものの捕まり残忍な懲罰を受ける妹分とか、『女囚さそり・けもの部屋』(1973 伊藤俊也監督)では体を売って知的障害の兄を養う女の子といった幸せ薄い役のイメージが定着します。もし、日活の経営が順調で『新・ハレンチ学園』が大ヒットしていたら、キュートなコメディアンヌの魅力でアイドル・スターとして活躍し、全く違う女優人生だったかもしれません。スターになるかどうかというのは、その時代のタイミングや入った会社などの運にも大きく左右されますね。 (ジャッピー!編集長)