このところの当ブログで、1973年にTBSテレビ「木下惠介・人間の歌シリーズ」の枠で放送された『それぞれの秋』について書いています。

僕は毎週楽しみにしていて、脚本の山田太一さんの名前を覚えたのでした。あとにして思えば、小倉一郎さんが三流大学の学生というのは『ふぞろいの林檎たち』、家族それぞれバラバラになっているのは『岸辺のアルバム』と、のちの作品を思わせる設定でしたね。

気が弱く、ひとりオロオロする大学生に小倉一郎さんがピッタリでしたが、このキャスティングにまつわるエピソードがあります。山田太一さんが『それぞれの秋』のアイデアをめぐり、当初、TBSの担当プロデューサーと意見が合わなかったそうです。それまでのホームドラマと違い、家族がバラバラという設定を危惧されたのです。それで山田さんは納得できない気分で、映画を観ようと有楽町にあった「スバル座」に入ったのです。

席につくと、「山田さん」と小さな声で呼びかけられ振り返ると、小倉一郎さんだったのです。既に書いたように、小倉一郎さんは同じ「木下惠介・人間の歌シリーズ」で放送された、田村正和さん主演『冬の雲』に傍役で出ていて、山田さんも一度だけ会ったことがあったのです。小倉一郎さんは「映画ですか?」と言いながら、映画館にいるのだから当たり前の「変な質問したなあ」と気づいたようなはにかんだような表情を浮かべたのだそうです。

この印象が強くて、映画が始まってからも山田太一さんは映画の内容もそっちのけで「彼を主役でいけるかも」と考えていたのです。と同時に、『それぞれの秋』というドラマの輪郭もはっきりしてきたのだそうです。小倉一郎さんにしてみたら、この「スバル座」で偶然、山田太一さんに会わなければ、思い切って声をかけなければこの名作ドラマに出演することがなかったのかもしれなかったのです。ほんのちょっとしたことが運命を変えることはありますね。

ちなみに、映画が終わったあと、山田太一さんがお茶に誘うと、小倉一郎さんは「これ、いい映画だから、三回観ることにしたんです」と言って、誘いを断ったそうです。山田さんに声をかけたとき、既に一回観たあとだったそうですから、今みたいに映画館が「時間指定」とか「座席指定」で、一回観たら出ないといけなかったら、山田さんとすれ違っていたかもしれません。当時の映画館は一度入れば何回でも観れたので、僕も同じ映画をよく2回、3回と観たものでした。

さらに言うと、小倉一郎さんはこの『それぞれの秋』で共演した海野まさみさんと結婚、すぐ(2~3か月後)に離婚したことも話題になりました。これも「スバル座」で山田太一さんに声をかけたことから生まれた運命というわけです。(ジャッピー!編集長)