ひとつ前の当ブログで、1973年にTBSで放送された山田太一さん脚本の『それぞれの秋』について書きました。

小倉一郎さんは同じ「木下惠介・人間の歌シリーズ」の枠で放送された『冬の雲』(←これは名作です!)にも出ていましたが、多くの人に認知されたのはこの『それぞれの秋』でしょう。バラバラの家族が父親(小林桂樹さん)の脳腫瘍によって翻弄される物語ですが、お父さん本人が知らないうちに「本音」を喋ってしまうというのが怖かったです。将来、自分がこうなってしまって、心の中に隠していたことをベラベラと人に喋ってしまうなんてことになったら……と思ったらいたたまれません。

『それぞれの秋』で小林桂樹さん演じる「昭和」の厳格なお父さんは「Gパンを履きたい」とか言い出します。心の奥底に抱えていた願望が外に漏れだすのです。誰でも持っていて、人には言えないでいた「本音」です。同じようなことは僕の母親にもありました。

教員として忙しく働いていた頃、離れて暮らしていた母親とはお正月や夏休みに会うだけになっていました。あるとき、出かけると、「この間も、近所の子どもたちが集まって賑やかだったのよ」と言うのです。それまでも、ちょっと変なことを言うことがあり

「認知症かな?」と思いながらも、いやそんなはずないと都合よく自分の中で否定していたのですが、ああ、これは「認知症」なんだな……と認めざるをえませんでした。

調べると「レピー小体型認知症」というもので、いないはずの人や動物があたかもいるように見えるのだそうです。「子どもがたくさん来ていた」というのが、母の抱いていた「願望」があらわれたのかと思うと辛い気持ちになりました。本当は孫が生まれ、可愛がるというような老後を楽しみにしていたのではないか……。「早く結婚して孫の顔を見せてよ」なんてことを言ったことは一切言わなかったけれど、本当は心の中では強く願っていたのではないか……。そういった「本音」が「認知症」が始まって幻覚?という形で現れたのではないのか……。

それなのに、孫の顔も見せられず、好き勝手に生きてきた自分は何て親不孝なのだろう。もちろん、「親のため」に結婚したり、子どもを作ることが「あるべき家族の姿」という前近代的な家族観ではありませんが、それでも……親の隠れた思いを慮ると辛い気持ちになるのです。

僕の母の場合は「脳腫瘍」ではなく「認知症」でありますが、ああ、心の中で本当はこういうことを望んでいたんだなあ……と思わされた点で『それぞれの秋』の小林桂樹さんを思い出したのです。その後、母の認知症は進み、最近は会いにいってももう僕のことは息子と分からないようです。子ども好きの母が願ったであろう「孫」も見せられず、かといって何か社会に貢献したわけでもなく、過ぎ去った時を悔い、自分を責めるだけなのです。(ジャッピー!編集長)