ひとつ前の当ブログで、有吉佐和子さんの小説を映画化した『私は忘れない』(1960 堀内真直監督)のラスト近く、佐野周二さんの印象的な台詞に触れました。

この映画は、八重山諸島の中のひとつ「黒島」が舞台です。山腹で子どもたちと一緒にいる教師・赤間君雄(小坂一也さん)の所に郵便配達夫が手紙を届けるところから始まります。手紙はしばらく前まで島にいた門万里子(中圭子さん。「第一回主演」とクレジットがついてます)からで、子どもたちが「読んで!読んで!」とせがみ、そこから映画は回想に入ります。

若い教師の君雄が「黒島」の学校に赴任するため連絡船に乗っていて、その船上で万里子に出会います。東京から来たという万里子は「何となく、遠くに行きたくなって……」と言いますが、実は東京でスターを目指していたが挫折し、傷心旅行していたことがラスト近くで明かされます。

港に迎えに来た教頭(中村是好さん)は一升瓶の酒をぶら下げ、万里子は馬が引く荷馬車に乗せてもらいます。万里子のビックリした様子に馬に付いていた少年が笑います。校長(佐野周二さん)は「あの子が笑顔を見せたのは初めてだよ」と告げ、「とにかく、ここの子たちは笑うことがないんだ。笑顔にするのがまず第一歩さ」と君雄に言います。

「僻地教育の厳しさは分かっていたつもりでしたが……」と言う君雄は苦労しますが、次第に子どもたちにも溶け込みます。そして「旅行者」の万里子も積極的に子どもたちに接して協力します。伐採作業なども進んで取り組む万里子に、中村是好さんも「いや~、私も週刊誌なんかで東京の若者の様子とか読んでいたけれどね、アプレばかりじゃないんだねえ」と感心したように言います。この映画が公開された時期はもう「アプレ」という言葉も遅れていたと思うので、高度経済成長に向かう「東京」と僻地との「格差」は情報面での大きさもうかがえます。

映画では、島の両端にある二つの村が過去の因習から仲が悪い設定です。お互いの村どうしの恋愛がご法度になっていて起こる悲劇なども描かれます。校長の妻(水戸光子さん)が病気になり、嵐のため本土から医者が来れないと、左卜全さん演じる長老?が祈祷を行ったりと、1960年でもこのような生活が営まれていたことに驚きます。

映画のクライマックスは、嵐の中で村人たちが避難する場面です。行方不明になった弟を助けに行った山本豊三さんが命を落としてしまいます。今回の「能登地震」で、この映画を思い出したのはこの災害場面があったこともあります。そして、ひとつ前の当ブログで紹介した佐野周二さんのセリフが来るわけです。「同じ日本の片隅に私たちがいることを忘れないでください」という佐野さんの言葉に、万里子は「忘れません」と答え、島での経験で「自分らしさ」を大切に前を向いていく気持ちを取り戻すのです。

もちろん、この映画で描かれる島の生活は原始的で不便な部分も多くありますが、失ってしまった「豊か」な面もあるなあと思うのでした。(ジャッピー!編集長)