ひとつ前の当ブログで、市川崑監督がATGで撮った『股旅』(1973 市川崑監督)を取り上げました。その続きです。

「時代劇」に自信がなく、オファーを断ろうと思った小倉一郎さんは市川崑監督に「Gパン履いて歩くようなつもりでいいんだから。僕は時代劇を撮ろうとは思っていない。これは現代劇なんだ。普通でいいんだよ」と言われ、出演を決めます。そして始まった撮影では、時代劇の作法や「立ち回り」の型といった注文は付けられることもなく「勝手に歩け」と生身で動くことを要求されます。それによって、剣法の作法も知らない「田舎を捨て」あてもなく流れ歩く若者像のリアリティが生まれたのです。

さらに、市川崑監督は芝居に入っていないときの役者たちも隠し撮りしていて、それを編集段階で映画の中に挿入していたといいます。例えば、萩原健一さんと尾藤イサオさんが渡世人の汚い衣装をつけたまま、焚火にあたって出番を待っているところを隠し撮りして、その「本番前」で緊張している表情を劇中の「出入り」のシーンに使ったのです。これからヤクザの組同士の戦いに「助っ人」として駆り出される者の不安と緊迫感をあらわしたのです。つまり、これは「演技」でなく、バックステージの「素」の表情ですから、一種のドキュメンタリーともいえます。

渡世人ですから、土地を仕切っているヤクザの家の玄関先で「仁義」を切るわけですが、それも何だかたどたどしく、棒読みという感じです。それまでの「股旅」もの映画で中村錦之助さん、大川橋蔵さん、市川雷蔵さんらが演じた颯爽とした姿とはかけ離れた姿です。『木枯し紋次郎』で中村敦夫さんが演じた紋次郎にはまだ「ヒーロー」性が残っていましたが、この『股旅』の3人はそれもありません。

市川監督は3人の俳優を「勝手に歩け」と放置演出しましたが、渡世人の生活、しきたりや日常描写はこと細かに描きます。ここもドキュメンタリーぽいところです。おそらくは彼らは農家の次男坊以下に生まれ、百姓仕事や村のしがらみから自由になろうとハミ出てきたのでしょう。「ここではないどこか」を求めて旅に出たが、そこにも渡世人の「作法」や「掟」があり、「義理」に縛られるしかないのです。結局は、ボロボロの笠をかぶり、穴のあいた合羽をまとい、あてどなくさすらうのです。

ふと出会い、惚れた女(井上れい子さん)を連れだすが女郎に売るしかなく、病気になっても誰も助けてくれず、死はいつも隣り合わせです。映画の最後は、萩原健一さんと小倉一郎さんが些細なことから仲間割れになり、小倉一郎さんはあっさりと死んでしまいます。土手から転がり落ちて、誰からも気づかれない「死」で幕を閉じるこの映画、よく言われるように「アメリカン・ニューシネマ」のもっとも接近した日本映画だと思います。それが若手の監督でなく、市川崑さんのような既に巨匠となった監督によって撮られたのもスゴイです。(ジャッピー!編集長)