ふたつ前の当ブログで、『木枯し紋次郎』を観ていた子ども時代、御多分にもれず僕も「楊枝飛ばし」をマネしていたという話を書きました。

当然、紋次郎のようにうまく飛ばせなかったのですが、実は中村敦夫さんも上手にできず、猛特訓したのです。この「楊枝飛ばし」は笹沢佐保さんの原作にもあるし、ドラマのアクセントにもなる重要な技?なので、いくらやっても遠くに飛ばせない中村敦夫さんに市川崑監督は「修行が足りん!」と言ったそうです。

中村敦夫さんは最初は細く削った竹(劇中でも削って楊枝を作るシーンがありました)を咥えていたけれど、うまくいきません。それで、いろいろ試す中で、萱(かや)の茎を折って練習したら「遠くまで飛ばせる」ようになり、コツをつかんだといいます。あの「楊枝飛ばし」ひとつにも創意工夫と努力があったのですね。

逆に、中村敦夫さんがほとんどやったことのなかった「立ち回り」に関しては、そのまま素人の剣法でいいとなりました。紋次郎は生まれながらの渡世人で、武士のように剣術を習ったわけでないので、その方がリアリティが出るということです。たしかに一種のドキュメンタリーのような「殺陣」が迫力がありました。たしか、撮影中に中村さんは大ケガをして何回か放送休止になった記憶があります。

市川崑監督でいえば、「紋次郎」役に当時まだ新進俳優の中村敦夫さんを抜擢した決め手になったエピソードも有名です。面談の場所である喫茶店に市川崑監督は先に来ていて、後からやって来た中村さんがドアを開けて入ってきます。そのとき逆光で、市川崑監督からは、中村さんが光の中を歩いてくるように見えたのだそうです。市川監督の頭の中に、これが街道をズンズン歩いていく姿として「映像」になったのでしょう。昔、自身で監督もされた勝新太郎さんが「朝、起きたときから、どこから、カメラで撮っているか、どういうアングルの中にいるのかを意識してしまう」と言っていましたが、映画監督というのは日常生活の中でも頭の中の「カメラ」が回っているのですね。性(さが)というやつでしょうか。

「初対面」におけるこの「映像」的な登場は、そのまま『木枯し紋次郎』のタイトルバックに活かされたんじゃないかな……と、中村敦夫さんも回想されています。このタイトルバック、ひたすら早足で歩く紋次郎の姿を捉えていますが、そのいくつかのカットの中に、木の枝に荷物をぶら下げたのを忘れた紋次郎があわてて取りに戻るという場面があり、劇中では見せない「とぼけた」姿が面白かったなあ。それまでの明朗時代劇と違い、ほとんど「笑い」のないハードボイルドな時代劇にほんの一点だけクスッと所を入れたのは市川監督の遊び心かもしれません。(ジャッピー!編集長)