このところの当ブログで、中村敦夫さんが脚本・ひとり語りをつとめた『朗読劇・線量計が鳴る~元・原発技師のモノローグ』(2022 岨裕士監督)の話を書いてきました。
「江古田映画祭」のプログラムの1本として上映され、僕は3月10日(日)に観ましたが、本当は11日(月)に中村敦夫さんのトークショーがあったので、その日を狙って予約を入れたのです。しかし、とっくに「満席」になっていたのです。残念……。
僕が中村敦夫さんを知ったのは、もちろん『木枯し紋次郎』であります。土曜日の夜、フジテレビで放送されていた『木枯し紋次郎』はそれまでのテレビ時代劇とは全く違うものでした。それまで僕が観ていた時代劇は、当ブログ2月21日に書いた『素浪人月影兵庫~『素浪人花山大吉』とか、中村梅之助さん(中村梅雀さんの御父上です)主演の『遠山の金さん』といったところでしたから、これらと違って「笑い」のないハードボイルドな主人公と作品世界は新鮮でした。
各回のタイトルが「峠に哭いた甲州路」とか「飛んで火にいる相州路」といった体言止めだったり、「六地蔵の影を斬る」とか「九頭竜に折鶴は散った」というようなちょっと文学的?な響きがカッコ良く、大人のドラマという感じがしました。と言っても、子どもだったので、紋次郎が咥えている長い楊枝をいつ飛ばすかというところに気を獲られていました。本当にドラマとしての味を分かっていたかどうか……今一度、観てみたいですね。
当然のように、この「長楊枝飛ばし」をマネしたものです。もちろん「爪楊枝」では本格的?ではないので、お団子や焼き鳥の串を咥えてはピュッと吹いて飛ばしたのです。これが紋次郎のようにうまくいかず(当たり前だ!)、練習したものです。当時の子どもの多くが真似していたと思いますが、これけっこう危ないですね。人の目にでも刺さったら大変です。今だったら、「子どもが真似するから止めろ」とクレームがついたかもしれません。
そして現在も、いい歳になった僕が紋次郎を意識するときがあります。紋次郎はかなり早足で歩いていましたよね。次の宿場町に着くためなんでしょうが、すごい健脚です。僕は「電車賃の節約」と「運動」を兼ねて、2駅から3駅ぐらいは歩くことにしているのですが、そのとき紋次郎のように早足で歩いているのです。紋次郎の気分で脇目もふらず歩く僕の脳内には、上條恒彦さん歌う「だれかが風の中で」(詞・和田夏十さん、曲・小室等さん)が流れていることは言うまでもありません。(ジャッピー!編集長)