ひとつ前の当ブログの続きです。

2月18日(日)に観に行った「第97回キネマ旬報ベストテン表彰式」(オーチャードホール)で、ベストワン作品になった『せかいのおきく』(2023 阪本順治監督)で脚本賞に輝いた阪本順治監督はスピーチで、この映画の当初のタイトルは「江戸のウンコ」だったと打ち明けました。

さすがにそれでは……と、最終的に『せかいのおきく』というタイトルになったわけですが、これは劇中の佐藤浩市さんの台詞によるものです。佐藤浩市さんが演じるのは、元・武士ですが今は落魄し長屋の住人になっている男です。その男が「汲み取り」を生業にする青年(寛一郎さん)に「なあ、”せかい”って言葉、知っているか」と語りかけるのです。(この映画、佐藤浩市さんと寛一郎さんの親子共演作なのです)

長く鎖国をしていて、文字通り「世界」という概念が一般庶民にはなかったことに加えて、厠から「糞尿」を汲み取り、それを田畑の肥料として使い、そこで作られた作物を人間が食べて……という「循環」という普遍性もあらわしているように思います。武士だろうが、庶民だろうが、「自然」の中で生きている以上、世界の一員であるということじゃないでしょうか。たぶん、この時代には「世界」同様「環境」という言葉、概念もなかったのではないでしょうか。あまりに当たり前のことすぎて、意識することもなかったと思うのです。

物語の軸になるのは中次(寛一郎さん)とおきく(黒木華さん)の不器用な恋なのですが、「せかい」と言語化して、武家育ちだろうが下層民であろうが何の違いもないし、同じ「生」なのだということを知るのです。読み書きのできなかった中次ですが、言葉を覚えることで、目の前が開かされ、まさに自分の「せかい」を変えようと思うのです。

ひとつ前の当ブログで、阪本監督は「モノクロ、スタンダードに憧れがあった」と語っていたことを書きましたが、スタンダードのこじんまりしたサイズの映像が、片隅に生きる名も無い庶民、下層民でも「せかい」なんだというテーマに相応しいと考えたのだと思います。

中盤に佐藤浩市さん演じる源兵衛は斬られて死に、その娘「おきく」もノドを斬られて声を失います。それでも、この二人はお互いを見つめ、全身で「思い」をぶつけるのです。相手に伝えるという意味では、これも「言語」、いや「言語」を超えたコミュニケーションといえるかもしれません。

そういえば、授賞式のスピーチで阪本監督は「携帯電話のない時代のことを書くのは楽しかった」とおっしゃっていました。「循環型社会」と共に、本来の人間の繋がりの力強さを描こうという意図があったのだと思います。(ジャッピー!編集長)