ひとつ前の当ブログで、安田道代(現・大楠道代)さんが女剣戟に挑んだ『女左膳 濡れ燕片手斬り』(1969 安田公義監督)を取り上げました。男性時代劇スターでも左腕での立ち廻りは難しいのにこなした安田道代さん、劇中ではトランポリンを使って回転レシーブのようなアクションにも挑んでいます。

おそらく運動神経もいいのでしょう。この作品よりも前、『セックス・チェック 第二の性』(1968 増村保造監督)では、オリンピックを目指す陸上の短距離選手に扮しますが、この時も撮影に入る前1ヶ月間、陸上のコーチについて朝から晩まで本格的なトレーニングをして、最後はそのコーチから本当に「オリンピックに出ないか」と言われたほどだったそうです。安田さんも「体が変わっていくのが自分でもわかった」とおっしゃっています。

劇中、安田さんが扮するアスリートは100メートル11秒7を出す設定ですが、実際にそれに近いタイムで走れるようになったといいいますからスゴイです。当時は、芸能人がオリンピックを目指すなんて発想は誰も持っていなかったでしょうが、今だったら猫ひろしさんみたいに本当にオリンピックに出ていたかも? この映画では、走っている脚がたびたび強調されるショットが入りますが、すべて吹き替えなし、特訓で鍛え上げた筋肉たっぷりの安田さん自身の脚なのです。

安田道代さんの映画デビューは実は日活でした。吉永小百合さん主演の『風と樹と空と』(1964 松尾昭典監督)です。田舎から集団就職で東京に出てきた若者たちを描いた青春映画の佳作で、安田さんも仲間のひとりを演じています。勝新太郎さんの推薦で大映に移籍したあとも、『氷点』(1966 山本薩夫監督)でヒロイン・陽子を演じたり(この三浦綾子さんのベストセラー原作はテレビドラマでも話題となり、内藤洋子さんが演じました)、若尾文子さんが増村監督と初めて組んだ『青空娘』(1957 増村保造監督)のリメイク、『私は負けない』(1966 井上昭監督)など青春スターとして溌溂とした魅力を発していました。

しかし、増村監督にナオミ役で起用された『痴人の愛』(1967 増村保造監督)での体当たりの演技から、大映の経営不振によるエロチック路線への変更もあり、『秘録おんな牢』(1967 井上昭監督)に始まる「秘録」シリーズなどで肉体派女優へ、そして『女左膳 濡れ燕片手斬り』や『笹笛お紋』(1969 田中徳三監督)といったアクションものに主演し、迷走状態の大映末期を支えたのです。

結婚されてから、しばらく映画を離れていましたが、大楠道代さんとなって鈴木清順監督作品のミューズとして活躍されます。鈴木清順監督が亡くなられたときは、「とても悲しくて残念ですが、あえて安らかにお眠りくださいとは言いません。どうせ、かなたの世界で荒戸源次郎さん、原田芳雄さん、松田優作さんたちと破天荒なことを企てているでしょうから」とコメントを出しています。一緒に作品を作り上げた仲間ならではのいいコメントですね。  (ジャッピー!編集長)