ひとつ前の当ブログで、「丹下左繕」の映画化作品をめぐるエピソードを取り上げました。

丹下左膳といえば、菅原文太さんで映画化しようという話もあったのです。1975年から始まった『トラック野郎』シリーズも、第10作「トラック野郎 故郷特急便」(1979 鈴木則文監督)で終了となったあとのことです。まだまだ勢いのある中での終了ということもあり、『トラック野郎』のチームで文太さんの新しい主演シリーズを作ろう!と機運が盛り上がり、そこで生まれた企画が「丹下左膳」だったのです。

現代劇が主流の東映東京撮影所で新しい時代劇を!と何人かの関係者が極秘に進めていきました。その中のひとりが、宣伝マン・関根忠郎さんです。時代劇黄金時代から、任侠映画、そして実録路線と東映のポスターに踊った名コピーを作り続けた有名な惹句師です。『仁義なき戦い』シリーズ(1973~1974 深作欣二監督)でいえば、「殺れい! 殺ったれい! 拳銃が焼きつくまで撃て!」とか「盃は騙し合いの道具ではなかった筈だ…!」「今夜9時、この街は血と銃弾にまみれる!」など。僕が印象に残っているのは渡哲也さん主演の『仁義の墓場』(1975 深作欣二監督)の「カラスが啄む仁義の死骸!」です。死骸に「むくろ」とルビをふって作品に漂う妖気をうまく醸し出しているなあと思ったものです。

そんな関根さんも加わって、企画が通る前に文太さんの「丹下左膳」ポスターを作ってしまったのです。制作が決まっていない映画のポスターを作るなんてことはありえないことですが、会社の上層部にアピールしよと作ってしまったのです。だから世間には出回らず、関根忠郎さんの著書「関根忠郎の映画惹句術」(徳間書店)の中で公開されました。

ある日の夜中に撮影所が寝静まった頃、文太さんとカメラマンなど少数のスタッフがこっそり集まってゲリうラ的に写真を撮ったのだそうです。文太さんも非常にのっていたということで、左膳の衣装をつけ、左手に持った刀の紐を口にくわえた姿がキマっています!

そこに関根さんのコピーが入っています。それは、「隻眼隻手、おぼろ月夜にうつる影 姓は丹下、名は左膳……と 大見得きりてェところだが そこは文太、昔ながらの剣戟ものに おさまりかえる了見は これっぽっちもありゃしねェ!」というもの。今までと違うものを作ろうという気概が見えますよね。どんな新しい左膳映画が出来るかワクワクさせる惹句です。文太さんが左膳で、鈴木則文監督なら絶対に面白いに決まっています。

結果的には東映社長・岡田茂さんの「今どき、こんなもん」の一言で企画はボツになってしまいます。ああ、これが実現していたら、ヒットして文太=左膳がシリーズ化、『柳生一族の陰謀』(1978 深作欣二監督)に始まる京都撮影所の時代劇復興と連動して大きな流れを作ったのでは……と見果てぬ夢に酔うのでした。(ジャッピー!編集長)