ひとつ前の当ブログで、ドキュメンタリー映画『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』(2016 中島貞夫監督)の中で、松方弘樹さんが、父であり伝説の剣豪スターである近衛十四郎さんを語っていたことについて書きました。

松方弘樹さんは2017年1月21日に74歳で亡くなりましたが、その直後に出た『無冠の男 松方弘樹伝』(松方弘樹 伊藤彰彦・著 講談社)には、父・近衛十四郎さんと母・水川八重子さんの長男として生まれた松方さんの幼少期から、東映京都に入社、時代劇、現代劇、実録路線、ご自身でプロデューサーや監督をつとめたり……と映画へのこだわりを持ち続けた役者人生を忌憚なく述べていて、とても興味深い一冊です。病に倒れる2か月前に語ったインタビューをまとめたもので、まさに「語り尽くした」という感じです。

松方さんは「東映城の暴れん坊」として、「東映城のプリンス」北大路欣也さんと次世代時代劇スター・コンビで売り出されましたが、実は松方さんは時代劇をやるには大きなハンディキャップがありました。それは松方さんが元々、左利きだったということです。昔の武士には左利きはいなかったそうで、みんな右利きに矯正されていたそうです。『赤穂浪士』(1961 松田定次監督)で大石主税を演じたときに松田監督から「右でやらないと、オーソドックスな時代劇はできないよ」と言われて、松方さんは猛特訓を始めます。これは大変だったと思います。野球でもスイッチヒッターになるなんていうと猛練習をしていますね。

東映京都の「剣会」のメンバーの人たちに声をかけて、毎日昼休みと夕方休みに殺陣の稽古に付き合ってもらったといいます。必死に血のにじむような努力をして何とか右で振れるようになって、今度は東千代之介さんなど先輩俳優と立ち廻りの稽古をすると、その速さに追い付かず、さらに稽古を重ねたということです。松方さんといえば、若い頃からやんちゃで、豪快な遊びっぷり(この本にもいくつかのエピソードが紹介されています)で語られることも多いですが、自分の芸のためにものすごい努力を重ねておられたのです。

また、時代劇をやるには、立ち廻りだけでなく、馬に乗れなければならないので撮影所裏の馬場でお尻の皮が擦り切れるほど乗馬の練習をしたそうです。そういえば、クリント・イーストウッドさんが『許されざる者』(1992)を撮った時に、「これが最後の西部劇になる。馬に乗れる者がいないから、もう西部劇は作らない」と言ったことがありました。

これは日本映画界も同様で、松方さんは、時代劇の所作や技術など伝統が継承されていないことに危惧を感じていらっしゃいます。松方さんは、衣装ひとつにしても、片岡千恵蔵さん、中村錦之助さん、大川橋蔵さんなどと共演したときのものが記憶の引き出しに入っていて衣装合わせで註文をするそうで、「俳優にとって大事なのは勉強と記憶だ」とおっしゃっています。リメイク版『十三人の刺客』(2010 三池崇史監督)では松方さんの殺陣シーンとなると、他の俳優たちがぞろぞろ見に来たという逸話がありますが、「現在は立ち廻りも乗馬も訓練していない人がやっているから、僕が目立つだけで、昔の俳優なら当たり前のことです」と言っておられます。

時代劇をこよなく愛した松方さん、元来の左利きということを活かして「丹下左膳」なんか演じてほしかったなあ……と思います。(ジャッピー!編集長)