ひとつ前の当ブログの最後のところで、木下惠介監督はいち早くテレビドラマの世界に進出したということを書きました。

昭和40年代に、TBSテレビで「木下惠介アワー」を観ていた方は多いと思います。僕の記憶に残っている中でいちばん古いのは『記念樹』という孤児院を舞台にしたドラマで、家族で毎週欠かさず観ていました。

『喜びも悲しみも幾年月』(1957 木下惠介監督)など自分の映画のリメイク版もありました。このところの当ブログで取り上げている『破れ太鼓』(1949 木下惠介監督)も『おやじ太鼓』というタイトルで連続ドラマになっています。専制君主的な頑固親父を演じたのは進藤英太郎さんでした。実は、僕はオリジナルの『破れ太鼓』はずっと後に映画ファンになってからに名画座で観ているので、この親父役は阪妻さんよりも進藤英太郎さんの方がまず頭にこびりついていました。

進藤さんの頑固親父に振り回されながらも、子どもたちがそれぞれの考えを主張して対抗する基本設定は同じですが、既に昭和40年代に入っていましたから、親父の封建性もオリジナル版よりも緩やかだった印象です。あと、オリジナル版の映画よりも子どもの数がひとり多くなっていたと思います。これは、当時、大家族のホームドラマが流行っていたことも影響していると思います。

森繫久彌さんが一家の祖父を演じた『七人の孫』や、山村聰さんが家長で9人の子どもがいる『ただいま11人』といったドラマが人気だったのです。僕もよく観ていましたが、放送されていた時期もかぶっていたんじゃないかなあ。よくゴッチャになってしまって、どっちに誰が出ていたか混乱したのを覚えています。しかも、どちらもTBSの番組で、この辺から『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』など石井ふく子プロデューサー、橋田壽賀子さん脚本のドラマまでTBSのホームドラマの系譜がつながっています。ちなみに『七人の孫』のとき森繫久彌さんはまだ50代前半。ずいぶんおじいちゃんに見えたがなあ。

ともかく、こういった人気ドラマの影響もあって『おやじ太鼓』の子ども数は増えたのでしょう。当時はひとつのドラマが1年ぐらい続くのも当たり前のようにありましたが、今だったら1クールで終わっちゃうのがほとんどだから、家族ひとりひとりを取り上げる間もありませんね。観る側も、家族がお茶の間に集まってなんて図もなくなり、一人ひとりがスマホの小さい画面をのぞくという状況になってしまいましたからね。

『おやじ太鼓』の主題歌は『破れ太鼓』と同じものだったかなあ……ちょっと記憶があいまいですが、劇中、浪人生の三男だか四男を演じていたあおい輝彦さんが歌っていたのはよく覚えています。(ジャッピー!編集長)