ひとつ前の当ブログで『永遠の人』(1961 木下惠介監督)における木下忠司さんの音楽について、ちょっと触れました。当ブログ2021年2月10日に書いた「木下惠介監督の実験精神を音楽で支えた木下忠司さん、『永遠の人』は何と」を以下に再録します。

       *      *     *

ひとつ前の当ブログで、木下惠介監督は抒情的な映画作家というだけでなく、前衛的で実験精神にあふれる人だったという話を書きました。

そして、そんな木下惠介監督の前衛性をサポートしていたのが、弟の音楽家・木下忠司さんです。

木下監督の代表作で多くの観客の涙をしぼった『二十四の瞳』(1954 木下惠介監督)では既成の小学校唱歌が多く流れますが、「今回は唱歌を使おう」という木下監督の意図を受けて、忠司さんがどのシーンにどの歌がいいかを選んだのです。この選曲がまた絶妙です! 特に、貧しくて小学校卒業前に去っていった松江という女の子と、高峰秀子さん演じる大石先生が修学旅行先の高松で偶然再会するシーンに「七つの子」が流れてくるのですが、僕はここは何回観ても涙腺が決壊してしまいます。かつての級友たちに見つからないように隠れる松江、おそらくは売り飛ばされて、この先は女郎か酌婦になるであろう彼女の行く末……ここで落涙しない人は僕には信じられません。

また、特に僕が衝撃を受けたのは『永遠の人』(1961 木下恵介監督)の音楽です。この映画は、昭和初期、まだ封建的な気風が残る田舎の村が舞台です。幼馴染で結婚の約束をしていた恋人(佐田啓二さん)がいる高峰秀子さんが、地主の息子(仲代達矢さん)に横恋慕され、無理やり犯されてしまいます。高峰秀子さんは小作農の娘なので逆らうことができず、仲代さんの嫁にされてしまいますが、以後もずっと夫の仲代さんを憎み続ける様が30年あまりも続くのです。

男中心の封建的な「家」制度の犠牲になる女性の半生を描く壮絶な物語に、つけられた音楽は何とフラメンコの歌とギターの演奏なのです。このフラメンコの導入は、もちろん木下惠介監督の指示によるものですが、それに応えて忠司さんは見事な音楽をつけました。憎み合う夫婦の壮絶なクロニクルという極めて日本的風土の物語になぜかマッチしていて驚きました。最近は日本映画が海外の映画賞などにノミネートされ話題になっています。昔も黒澤明さん、溝口健二さんなどの作品が海外で評価されましたが、木下惠介監督なんか、もっと評価されてもいいはずだと思います。

       *       *      *

『永遠の人』も、家父長制度の封建制の中で虐げられた女性の「自由への闘い」を描いた映画といえます。木下惠介監督という人の作品のテーマ性はブレることなく続いていたことが分かりますね。(ジャッピー!編集長)