このところの当ブログで、カミカワ陽子がアソー太郎の「おばさん発言」&「ルッキズム発言」について「大人の対応?」で受け流したことについて書いています。

ここは怒り、糾弾すべきところなのにスルーしたことに、僕はこういう対応がアソー太郎やモリ喜朗の「男性優位」というか、「男尊女卑」的な風土を温存させてしまっていると思います。こうした旧態依然とした風潮は、マツモト人志とその後輩たちが女性をまるで「モノ」のように扱っていることにも繋がっているのです。

そして、カミカワ陽子だけでなく、自民党全体がアソーやモリに苦言も呈さず、のさばらせていたことが「助長」させていたのは言うまでもありません。アソーなんか今までも何度も問題発言を繰り返しても、ずっと放置されてきたのです。今回のアソー発言にしたって、党首のキシダ文雄はアソーに注意もしていないわけです。「派閥解散」も言い渡せないぐらいだから、注意もできないのでしょうが、つまりは「リーダーシップ」なんか欠片も持ち合わせていないということです。

あ、キシダは昨年(2023年)9月の内閣改造のときに「女性ならではの感性、共感力をじゅうぶん発揮していただくことに期待したい」などとほざき、「女性ならでは」って何なんだよと突っ込まれていましたから、「おばさん発言」にも「ルッキズム発言」を問題視する感度がそもそも低いのかもしれません。要するに、核の部分はアソーやモリと同類項なんでしょう。

内閣改造で思い出したけど、今回、キシダは「派閥を政策集団」にという「やったふり改革」にあたって、「政策集団がカネや人事に関わってはならない」と述べました。これって、つまり今までの「派閥」は人事に大きく影響があったということを認めているわけですよね? 内閣改造のたびに、さんざん「適材適所で選んだ」とほざいていたのは何だったんだよ。結局、派閥からの推薦で「大臣待機組」を順番に起用していただけじゃないかよ。よく「適材適所」とか言っていたなあ。一種の「虚偽」で国民を騙くらかしていたわけです。大事な役職に「ただ、派閥の要求を受け入れていただけ」の連中を就かせていたわけなんですから。

キシダは「宏池会」解散で先手をうったように考えたのかもしれませんが、まずは、自分のヘタレ人事を認め、謝罪したらどうなんだよ。(ジャッピー!編集長)