ひとつ前の当ブログで、日下部五朗さんが宮尾登美子さん原作「鬼龍院花子の生涯」を映画化しようと、OKを出さない岡田茂社長をいかに説得したかを書きました。
「濡れ場」が多いと強調して説得し映画化に成功した日下部五朗さんには、同じようにハッタリで岡田社長のOKを勝ち取った例がもう一つあります。日下部さんは今村昌平監督と仕事をしたくて深沢七郎さん原作の『楢山節考』の企画を考えます。ところが、岡田茂さん(当時は東映社長です)「昔、木下恵介さんが作ったやろ。ええ加減なもん持ってくるな」とOKを出しません。
そこで、日下部さん、「貧しい農家の青年たちが性欲を発散するため、夜這いしたり、青姦やったり、そりゃもうロマンポルノの10本分ぐらいをドバーッとやりますわ!」と力説、岡田さんもノッてきてOKが出たのだそうです。実際の『楢山節考』(1983 今村昌平監督)には、それほど過激な性描写はありません。ある意味、岡田社長を騙して通したこの企画で、何と見事にカンヌ映画祭で「パルムドール」を獲得するのです。日下部さんの「誇大説得」によって、作られた映画が世界三大映画祭のひとつを制したのです。岡田茂さんに「体がデカい」からプロデューサーに回された男が、ついに世界の映画の頂点に立ったのです。
そして、日下部さんにとって運の良い(?)ことに、実はこのとき、岡田茂社長はカンヌに来ていませんでした。この年のカンヌは『戦場のメリークリスマス』(1983 大島渚監督)が本命視されていたからです。世界のオーシマ、さらにデヴィッド・ボウイさん、坂本龍一さんといった世界的なミュージシャンが出演しているとあって話題を集めていました。それに対し、国際的スターも出ていなくて土俗的な内容の『楢山節考』が獲ると予想した人はほとんどいなかったと思います。当時、僕も『戦場のメリークリスマス』が受賞すると思っていましたねえ。
負けず嫌いの岡田茂社長も「恥をかくのは日下部ひとりで充分」と来なかったのです。それどころか、今村昌平監督も「姥捨て山の地味な話が外国人に分かるはずがないだろ。後輩の大島が受賞するのをわざわざ観に行かなくていいだろ」と日下部さんに言って、誘いを断ったのです。(日活移籍前は松竹に在籍していた今村昌平さんは大島渚さんの先輩助監督でした)
岡田茂社長も今村昌平監督もいないため、授賞式では日下部五朗さんがソフィー・マルソーさんにエスコートされ、オーソン・ウェルズさんから賞状をもらったのです。岡田茂さんに「体がデカい」からプロデューサーに回され、それまで東映の数多くのヤクザ映画を作ってきた男がついに世界の映画人の注目を集める華やかな場に立ったのでした。(ジャッピー!編集長)