このところの当ブログで、『仁義なき戦い』シリーズ(1973~1974 深作欣二監督)を取り上げ、「派閥裏金」をめぐる様相と似ていることを書いています。

海の向こうのアメリカでは「大統領選」の予備選でトランプ大統領が共和党代表になりそうな滑り出しです。相変わらずの下品な口の悪さが逆に受けているから厄介です。2016年もヒラリー対トランプのテレビ討論会がひどかった記憶があります。政策論争なんてほとんどなく、ただお互いをののしり合うレベルの低さ、小学生以下ですね。

いい大人のののしり合いといえば、『仁義なき戦い 頂上作戦』(1974 深作欣二監督)での菅原文太さんと小林旭さんを思い出します。シリーズ第4作目の今作は、神戸をにらんでの代理戦争も過熱する中、うかつに手を出せな膠着状態に陥ります。そんな状況下、小林旭さん演じる武田明が、文太さん演じる広能昌三に電話をかけます。広能は「明か……仰山に構えちょって、ちいとも攻めてこんじゃないの、おう!」と挑発的に言うと、武田が「そっちこそ山守とる、とる言うてとれやせんじゃないか。打本はソッポ向いちょるし、明石組には見捨てられるし、しまらん話よのお」と切り返します。

それに対して、広能は「おうおう、どうとでも言いないや。いよいよ動きがつかんけん、電話でカバチ垂れるしかないいじゃろうが、おう、クソ馬鹿たれ……」と返し、不毛なののしり合いが続きます。西日本を二分する勢力の局地戦の最中、それぞれ組を構える親分でありながら、こうして電話で悪口を言い合う様相、それを旭さんと文太さんという日本映画が誇る大スターが演じているという二重の意味で面白すぎるシーンであります。

でも、当人が必死になってもがいている姿っていうのは時にハタからみたら滑稽だったりします。これが人間の面白いところですな。ちょっと俯瞰で見れば、自分がくだらないことでグダグダやってるなあとわかるのに目の前を切り抜けることで精一杯になると見えなくなってしまうものですね。

このシリーズ4作目まで脚本を書いた笠原和夫さんも第3作『仁義なき戦い 代理戦争』(1973 深作欣二監督)以降のグチャグチャの盃外交、その内ゲバ模様の展開を如何に書くかに腐心され、「疑惑、ねたみ、恐怖、思惑、顔はニッコリ腹には一物といった男どもをいったいどうやったら映像として描き分けることが出来るのか、たとえ描き分けられたとしても、アクション一つあるわけでなし、下品に言うとオール・ズッコケ連中のズッコケ話でしかない」と語っておられます。彼ら全員のゴタゴタをスクリーンに放り出すことで、「人間喜劇」を見せようと思い立った笠原さん、よくもまあ、この複雑かつ壮大な人間曼荼羅図を完成させたものだと思います。(ジャッピー!編集長)