ひとつ前の当ブログで、『太陽がいっぱい』(1960 ルネ・クレマン監督)について書きました。

地中海の美しい風景、その中で展開される殺人とサスペンス、ニーノ・ロータさんのあの旋律……と文句のつけようのない名作です。貧しい青年のトム・リプリー(アランドロンさん)が友人で裕福なドラ息子のフィリップ(モーリス・ロネさん)を殺し、フィリップになりすまし、巨額の金を手にするが……というストーリーですが、トムを演じたアラン・ドロンさんの美貌はこの映画の人気の大きな要因です。

トムとフィリップの関係にホモセクシュアルの匂いを嗅ぎとって指摘したのが淀川長治さんです。公開当時、原作者のパトリシア・ハイスミスさんが同性愛者という情報はそれほど浸透していなかったと思います。既に書いたように、レズビアン小説の『ザ・プライス・オブ・ソルト』(後に『キャロル』に改題)はクレア・モーガンという変名で書かれていました。そんな中、いち早く、ホモセクシュアルと指摘した淀川先生、さすがです。

フィリップに見下されていたトムがフィリップを殺し、彼になりすますのは、お金を得るためでもありますが、羨望と嫉妬の果てにフィリップになりたいという屈折した「変身願望」も含まれるのではないか……。ということは、パトリシア・ハイスミスさんが同性愛者であったとか、その時代背景などの情報や、ハイスミスさんの他の作品の研究などが進んだ今だったら解析できるでしょうが、『太陽がいっぱい』を観て即座に看破するとはすごい洞察力であります。

ハイスミスさんの第1作目の『見知らぬ乗客』は、映画化された『見知らぬ乗客』(1951 アルフレッド・ヒッチコック監督)を観た後に読んだのですが、交換殺人した男がもう一方の相手の男に執着する様が「ホモセクシュアル」的だなあと思いました。しかし、それはハイスミスさんが同性愛者だったという情報をある程度知っていたから気づいたのです。映画『太陽がいっぱい』も特に同性愛的な具体的描写はありませんから、淀川さんの感性のアンテナが鋭く捉えたということです。

『太陽がいっぱい』は、原題をタイトルに『リプリー』(1999 アンソニー・ミンゲラ監督)としてリメイクされました。マット・デイモンさん、ジュード・ロウさん主演で、こちらの方が原作により近く、ちょこっと「ホモセクシュアル」の匂いを漂わせていました。(ジャッピー!編集長)