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『銀嶺の果て』(1947 谷口千吉監督)は、三船敏郎さんのデビュー作であり、『ゴジラ』(1954 本多猪四郎監督)の音楽で有名な伊福部昭さんの映画音楽デビュー作という風に映画史においても重要な作品です。

その『銀嶺の果て』で出会った若山セツコさんと谷口千吉監督は結婚します。『青い山脈』(1949 今井正監督)という国民的大ヒット映画で「メガネっ子」を演じアイドル的人気を得た1949年のことです。このとき若山さん20歳、谷口監督37歳ですから17歳の年の差。

既に書いたように、『乱菊物語』(1956 谷口千吉監督)で出会った八千草薫さんにゾッコンとなった谷口千吉監督は若山さんと離婚、翌年1957年に八千草さんと3度目の結婚をします。やはり、谷口さんの好みなのでしょうか、小柄で童顔、クールな美人というよりは優しい感じで「可愛らしい」という点で若山セツコさんと八千草薫さんは共通するものがあります。ともかく、若山さんに続き八千草さんと結婚した谷口さんに嫉妬まじりか本気で怒ったのか、「もう、谷口の映画は絶対観ない!」と語った東宝関係者がいたといいます。なるほど、気持ちは分かります。

谷口監督と離婚したあと、若山さんは女優として華々しい活躍をすることなく、脇役にまわり、やがて病気のため表舞台から姿を消します。復帰してちょこちょこテレビなどに出演した頃には精神的に不安定になっていたといいます。そして、お姉さん、お母さんを相次いで亡くし、若山さんは1985年(昭和60年)、首を吊って自殺してしまいます。谷口さんと離婚した後は結婚することもなく、55歳という若さで淋しく病院で亡くなったのです。新聞の訃報も小さな扱いだったのを覚えています。

八千草さんが亡くなられたとき、その訃報はニュースなどで取り上げられ、谷口監督の晩年まで仲睦まじく登山などしていた姿などが出ています。女と男のことですから、どんな経緯があったかは分かりません。それでも、谷口監督が八千草さんと出会わなければ、若山さんは八千草さんのように幸せに添い遂げたかもしれなかった……という思いにかられます。若山さんが八千草さんと似たタイプの可愛い女性だっただけにそう思ってしまいます。

大きく八千草さんの死が報じられる一方では、ひっそりと自ら命を絶ったひとりの女性がいたことを思い出してほしいのでこのブログを書きました。 (ジャッピー!編集長)