ひとつ前の当ブログで書いたように、八千草薫さんは「宝塚歌劇団」を退団後、東宝に入社、特撮映画でも活躍されます。そして、円谷英二さんが特撮を担当した『乱菊物語』(1956 谷口千吉監督)で出会った谷口千吉監督と結婚されます。

当時、八千草さんは25歳。谷口監督は44歳でしたから19歳の年の差がありました。しかも、谷口監督には若山セツ子さんという妻がいましたから、不倫、あるいは八千草さんの略奪愛、という感じでスキャンダルになりました。結局、谷口監督は若山さんと離婚、『乱菊物語』公開の翌年、1957年に八千草さんと再婚となります。が、自社の女優とのスキャンダルに対するペナルティーでしょうか、干されてしまい、3年ぐらい監督できなかったと記憶しています。

あ、今、八千草さんと再婚と書きましたが、正確には「再々婚」ですね。谷口さんにとっては3回目の結婚なのです。1度目の結婚は戦前の1938年12月、脚本家の水木洋子さんとで、当時は谷口さんはまだ助監督でした。水木さんは28歳、谷口助監督は2つ年下の26歳です。お二人は昭和6~7年ごろに隆盛だった左翼劇場の研修生として出会って、谷口さんの熱烈なラブコールで結婚されましたが、1年も持たず、翌1939年10月には離婚となります。わずか10か月の結婚生活、実質的には6か月ばかりの結婚生活だったそうです。水木さんによると、谷口さんは結婚するときに過去の放蕩生活や多くの女性関係を懺悔するように告白し、かえってそれが同情を誘い、「この世でただ一人の人だと思った」といいます。しかし、その後も居直るように過去とつながる女性関係を広言し、外泊を繰り返し、あげくは谷口さんは自分だけアパートに引っ越し別居となってしまったのです。

元々、結婚に谷口さんとの結婚に反対だった水木さんの母親が谷口さんの素行を徹底的に調べて歩いていたこともあるそうですから、義母との折り合いも悪かったのかもしれません。それで、ますます外の女性に目を向けてしまったのかもしれません。ともかく、谷口千吉さんはよほどモテたのか、女性関係がやむことがなく、谷口さんの熱愛を信じた水木さんは体調を崩し、ほとんど医者通いの10か月だったようです。新婚早々から谷口さんの女性関係で苦しめられ、とうとう離婚にいたるわけですが、のちに高峰秀子さん主演『浮雲』(1955 成瀬巳喜男監督)などの女性映画の名作をたくさん書かれる糧になったかもしれません。

その後、谷口千吉さんは若山セツ子さん、八千草薫さんとスター女優と結婚を繰り返し、2007年95歳で亡くなり、一方の水木洋子さんは以後、結婚はせず、脚本家として大活躍、2003年92歳で老衰のため亡くなるのでした。わずか10か月結婚されていたお二人は長寿を全うされたのでした。 (ジャッピー!編集長)