ひとつ前の当ブログで、ハセ浩・石川県知事が講演会で「東京五輪招致の際に“機密費”を使ってIOC委員一人ひとりに特別な贈りものをしていた」ことをポロリと喋ったことを書きました。

きっと、自分がアベ晋ゾーの忠犬として立派に仕事を果たしたことを自慢したかったのでしょう。これでまた一つ「東京五輪2020」のブラックな汚点が増えました。

そもそも、五輪選手からプロレスラーになったハセ浩がどうして政治家になったかというと、モリ喜朗の「引き」があったからです。ここで、当ブログ2022年10月31日「『裸のムラ』が映し出す、国の権力構図の縮小版みたいなムラ社会」を再録します。

         *          *         *

このところの当ブログで、10月29日にモリ喜朗が「杖をついていると身体障害者に見えて、みんなが大事にしてくれる」と障害者の方を揶揄するような発言をしたことを取り上げています。

この発言は金沢医科大の創立50周年記念式典でのものです。モリ喜朗はこの大学の顧問を務めていて来賓として挨拶に立ったのだそうです。いくら顧問といっても、モリ喜朗は数々の失言、暴言で物議を醸してきた人物だし、「女性蔑視発言」も記憶に新しいのですから、こんな人に挨拶を頼むというのがミスじゃないかという感じもします。「何かやらかす」人物ですからね、危機管理の面から見れば、来賓席に黙って座らせておけば良かったのにと。

しかし、そうもいかない事情があったのでしょう。モリ喜朗というのは、この地方では絶対権力者なのです。そんな実相を映したドキュメンタリー映画を最近、観ました。『裸のムラ』(2022 五百旗頭幸男監督)です。

この映画がフォーカスするのは、石川県知事選。最近、元プロレスラーの馳浩が知事になり話題になりましたが、その前の谷本正憲は7期、さらにその前任者は8期も務めたのです。何と、昭和38年以降ずっと、自民保守系が知事の座におさまっているガチガチの保守王国なのです。

最初は8選を目指していた谷本に、かつては谷本の選挙対策部長として支えていた馳が立候補して挑むという事態になるのですが、時々出てくるのがモリ喜朗。元首相という肩書きを持った地元の大物に対して、とにかく二人とも平身低頭。ペコペコしてモリに接している姿をカメラがとらえます。

北陸は石川県のこの「権力構図」が、そのまま国の縮小版なんでしょうね。そして、モリ喜朗という人物の「心の習慣」のルーツがこの地にあるということも見えてくる映画でした。(この項、続く)

         *         *         *

次のブログに続きます。 (ジャッピー!編集長)