ひとつ前の当ブログで、松田優作さんと「ショーケン」こと萩原健一さんについてのエピソード、『ブラックレイン』(1989 リドリー・スコット監督)と『誘拐報道』(1982 伊藤俊也監督)のキャストは元々逆だったという話を書きました。

このお二人はプライベートでもつき合いがあったようで、ずっと前に読んだことがあるのですが、優作さんが萩原健一さんの家に来て、「健ちゃん、原田芳雄はもうダメだなあ。最低よ、あいつは」なんてことを言い出したそうです。若き日の優作さんは原田芳雄さんの喋り方からファッション、ヘアスタイルまで真似していたので、萩原健一さんは何を言ってるんだと注意します。「お前ね、それは原田さんに失礼だろ。原田さんがダメになったんじゃないんだよ。お前が原田さんに飽きただけなんだよ」と言ったそうです。

優作さんは原田芳雄さんが毎年行っていた年末恒例イベント「餅つき」をも真似して、自分でもやり始め、あげくは自分から仲間に「兄貴」と呼ばせ、自分は原田芳雄さんを「兄貴」と呼ばなくなった……。これは、自分が原田芳雄さんを超えたと思っていたのでしょうか。俺こそが「兄貴」と慕われる目標になったと思っていたのでしょうか。

1983年頃の話といいますから、『陽炎座』(1981 鈴木清順監督)で原田芳雄さんと共演した2年後で、『家族ゲーム』(1983 森田芳光監督)に出たころです。たしかに原田芳雄さんとは違う方向に行った時期だと思いますが、それを「超えた」と思っていたのだとしたら、優作さんの大きな勘違いですね。

そして、萩原さんは、よく遊びに来ていた優作さんに「今度は俺の真似ばかりしているじゃないか。だけど、優作、そのうち俺のことに飽きるよ」と言ってやったそうです。ショーケンに言わせれば、テレビの『探偵物語』は『傷だらけの天使』が下敷きになっているし、優作さん扮する工藤俊作の服装は、ショーケンがライヴで着ていた衣装そのままだとのことです。(CD「熱狂雷舞」のジャケット) 

そして、ある日、優作さんが「みんなで飲んでいるから、うちに来ないか」と電話をかけてきたそうです。仕事の打ち合わせがあったショーケンが断ったら、「何だ、俺んちで飲めないってのか」とからんできたそうです。ショーケンによると、優作さんを焚きつける連中が回りにいたのだろうということですが、やはり、ジーパン刑事の前任者、「マカロニ」刑事を演じたショーケンに憧れのまなざしを向けていたのだと思います。そして、原田芳雄さんと同じように、ショーケンも超えるべき存在として愛憎が入り混じっていたのでしょう。 (ジャッピー!編集長)