このところの当ブログで、『青天を衝け』の最終回で今の日本は「恥ずかしい国」と評されたことを書きました。

そのような国にした張本人、アベ晋ゾーの「国葬」が行われたのが昨年の9月27日。この9月27日という日は、民意がないがしろにされた「負」の一日として忘れてはいけません。

昨日、それからちょうど1年の日だったので、僕は「ポレポレ東中野」に行って『国葬の日』(2023 大島新監督)を観てきました。9月16日に封切られていて、僕は「前のめり」気味になっていたのですが、せっかくなら「9月27日」に観ようと決め、また「9月27日」には大島新監督の舞台挨拶もあるということもあり、ずっとガマンの日々でした。その間、映画評や情報もできるだけ入れないようにしていました。

この『国葬の日』は、アベ晋ゾーの国葬が行われた日に日本の10か所に行き映し出した「当日」のドキュメンタリーです。キャメラを向けられるのは、反対デモに参加している落合恵子さんや鎌田慧さん、『REVOLUTION+1』(2022 足立正生監督)の上映会場で話す足立正生さん以外は、ごく普通の人々です。

「物心ついたときからアベさんが首相だったから」と目をキラキラさせながら言う若者、「長年、日本のために頑張ってくれたから」と弔意を示す人がいる一方、「極悪非道の犯罪者」、「国葬に値しない」と批判する人もいてまさに「賛否両論」です。

そんな中、僕が気になったのは、中年?ぐらいの男性が「私は反対だけど、それは昨日までだね。もうこうして決まっちゃって国葬が行われているのにまだ”反対”とかデモするのはみっともない」と答えたことです。いったい、誰に対して「みっともないのか」と思います。

この人はたしか、「海外からも人が来ているのにみっともない」みたいなことを言っていましたが、海外の方々にとってはむしろ「自分の意見」を堂々と主張しない方が「みっともない」と感じるんじゃないかなあ。

要するに、あきらめが悪いのは潔くないという極めて「日本人的」な感覚なんでしょう。でも、それは「もう決まってしまったから」「実際に国葬が行われているから」ムダという「あきらめ」であって、そこにつけこんで政権がいろんなことをゴリ押し、強行するのだということを知るべきですね。(ジャッピー!編集長)