ひとつ前の当ブログに続いて、当ブログ2020年12月11日に書いたものを再録します。タイトルは「『やまゆり園』殺傷犯と優性思想議員」です。

         *         *         *

ひとつ前の当ブログに書いたように、前首相のアベがコロナ感染が広がり始めた3月に「亡くなった方は高齢者や基礎疾患がある方に集中しています」から安心してくださいと発言しましたが、ちょうど3月の同じ頃、「津久井やまゆり園」で45人を殺傷した植松聖被告に対し、横浜地裁で判決が出ました。「死刑」というのは大方の予想通りでしょう。しかし、ある意味、なぜ被告はこういう事件を引き起こすに至ったのかは解明されないままというのは複雑な気持ちになります。

施設に勤務した当初は利用者を「かわいい」と言うことがあったという被告。それが「意志疎通ができない重度障害者の存在は時間もお金も無駄」という極端な考え方に至る、その心の変容がどのような経緯から生じたのか、そこが分からないのでは、今後の社会で考えていかなければならないことに活かせないではないでしょうか。大麻の影響だとか、トランプ大統領の言動に心酔していたとか、いろいろ言われていますが、はっきりと分かりません。今までも凄惨な事件を引き起こした者に対し「心の闇」みたいな言葉でくくることが多かったですが、これも結局はそのようにまとめられてしまうとしたら残念です。これが特殊な人間の起こした特異な事件なのか、それともまた起こり得ることなのか、社会が問いかけられる問題だと思うのです。

というのは、ネットには「やったことは悪いが、気持ちは分かる」とか「気持ちは分かるけど殺人はダメ」といった言葉がけっこう書きこまれているからです。怖ろしいことですが、そういう風に考えている人がいるということは、植松被告のように暴発する可能性があるということです。最近の、ホームレス女性が路上で「目障りだから」と殴り殺された事件などにも通底していると思うのです。(当ブログ11月22日「路上で亡くなった人にも人生があったのです」参照)コロナ禍で人の気持ちも荒みがちなのでますます心配になります。

スギタ水脈みたいに、人間を「生産性がない」とか言って差別する国会議員もいるのですから。こういう「優性思想」を持っている人物が、人の上に立っていたりもするわけです。いつ、こういった思想がまかり通ってしまう社会にならないとも限りません。このスギタとかいう議員は炎上すると、言い訳したり、急に新宿2丁目とかに行って「お詫び」のフリをしていたようですが、この「差別的優性思想」は潜在的に持っている「心の習慣」だから直りようがないでしょう。

また、3月の「臨時休校」に関連しては「むしろ高齢者に配慮が必要では」という意見に、マツカワるいという自民党議員が「高齢者は歩かない!」とヤジを飛ばしました。こいつも、その後、問題になると「誤解のある言い方」だったとか言い訳していましたが、本当にこんな奴ばっかり。潜在的には植松被告と同じだと思います。少なくとも、こんな連中が国会議員としてのうのうとしているんですから、「淘汰」もフィクションでなくなるかもしれません。

        *        *        *

この「津久井やまゆり園」の事件が発生してから7年が経ちました。LGBTQの方々に対し「見るのも嫌だ」と発言する奴が内閣の中枢にいたり、入管で適切な対応もされず亡くなってしまう人がいたり、相変わらず「すべての人の人権と尊厳」が守られているとは思えない社会のままです。 (ジャッピー!編集長)