ひとつ前の当ブログの続きです。

芥川賞をとった三浦哲郎さんの原作に感動した熊井啓監督は、三浦さんの自宅を訪ね映画化の許可をもらいます。吉永小百合さんも原作を読み、ヒロインの「志乃」を演じたいと言っていたので、当時、日活在籍だった熊井監督による映画化はスムーズにいくと思われました。

しかし、吉永小百合さんのマネジメントをしていた吉永さんのお父さんが注文をつけてきます。熊井監督は「余計なものを排除し、二人の心の中に入っていく」ため、「モノクロ、スタンダードサイズ」を考えていましたが、吉永サイドは「カラー、シネマスコープ」を主張、おまけに小百合さんによる主題歌を入れるよう要望を出してきたそうです。

また、熊井監督は哲郎役に中村吉右衛門さんをキャスティング(実際に内定していたそうです)していたのに、吉永サイドは違う人の希望を出していたそうです。吉永サイドは舟木一夫さんを推していたらしく、このキャストで主題歌入りだと、どうも『絶唱』(1966 西河克己監督)のような文芸歌謡映画を想定していたふしがあります。

これだけでも食い違いは相当なものですが、さらに哲郎の抱える家族の「血」の問題をカットするよう脚本にも注文をつけてきたそうです。三浦哲郎さんは6人兄弟で、兄ふたりは失踪、姉ふたりは自殺、ひとり残ったすぐ上の姉は病気持ちで弱視を抱えています。(映画では岩崎加根子さんが好演しています) 家系に流れる「暗い血」に怯えながら「志乃」と出会い、生きる希望を見いだすというのが『忍ぶ川』という話の根幹だし、のちに『白夜を旅する人々』でも取り上げている三浦さんの作品の重要なモチーフですから、これをカットしてしまったら『忍ぶ川』でも何でもなくなってしまいます。

そして、重要な初夜シーンは全面カットと要求されるに至って決裂、熊井監督は映画化を諦めざるをえなくなりました。1966年という時点、日活所属のスター吉永小百合さんがオールヌードになるわけではなかったでしょうが、熊井監督の証言によれば、どうも吉永パパは映画の中での「役」としての初夜シーンが本当に「自分の娘」の現実と混同していたかのようだったとのことです。

こうして流れた『忍ぶ川』はその6年後、熊井啓監督の執念が実り、各映画賞に輝く名作となったのです。吉永さんは加藤さんと小巻さんの美しいラヴシーンをご覧になったでしょうか。 (ジャッピー!編集長)