このところの当ブログで、7月9日(日)に山下達郎さんが自身の番組『サンデー・ソングブック』の中で語ったスピーチについて書いています。

ふたつ前の当ブログに書いたように、僕は元々、山下達郎さんの大ファンでこの番組の熱心なリスナーでした。当ブログで過去に書いたものを以下に再録します。2022年3月22日に書いた「『山下達郎サンデー・ソングブック』で、志村けんさんについて語った山下達郎さん」です。

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ひとつ前の当ブログで、僕がよく通い、食べ放題のトーストをかじっていた池袋西口の喫茶店『蔵王』には、山下達郎さんも通っていたという話を書きました。

このエピソードをどこで聞いたのか、はっきり覚えてはいないのですが、僕が日曜の14時にラジオをFM東京に合わせて聴いている「山下達郎サンデー・ソングブック」かもしれません。これは25年以上続く長寿番組で、僕は家にいるときは欠かさず聴いています。

2020年4月5日の放送で、新型コロナ・ウィルス感染によって亡くなられた志村けんさんに触れていたのが記憶に残っています。山下達郎さんは、志村さんが長年第一線で活躍したコメディアンでありながら、「文化人」とかにならず「一喜劇人」を貫いたことがすごいことだと敬服の意を表していました。

まったく同感です! 芸能人でも名前が売れ、評価され、名誉を得ると、いつの間にか「文化人」の枠に入っている人って多いですね。それで「コメンテイター」として、世間や社会を批評するようになるんだけど、そこで発せられるコメントはほとんど当たり障りのないツマラナイものになっているのがパターンです。どうしてこうも文化人になりたいのか分かりませんが、きっと「文化人」が上だと思っているんでしょうね。ある意味、それまでの自分は「文化人」より下というコンプレックスがあるということなんだと思います。しかし、志村けんさんはそういう風に「エラく」はならず、手作りのコントにこだわり、その辺にいそうな人間のおかしみを表現し続けていました。僕たちやあなたたちのような「誰かに似た人」が共感できる笑いを届けてくれました。

志村さんをそのように評価する山下達郎さんに、「蒼氓」という曲があります。1988年にリリースされた『僕の中の少年』というアルバムに収録されています。この曲の歌詞には ♪ 憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない 生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい という一節があり、達郎さんの人生観というか、ぶれない心の軸のようなものを感じます。

また、♪ちっぽけな街に生まれ 人混みの中を生きる 数知れぬ人々の魂に届くように という歌詞もあります。映画好きの達郎さん、たしか、『人情紙風船』(1937 山中貞雄監督)が好きだとおっしゃっていました。市井に生きる無数の名もなき人々へのまなざし、本当に「信じられる」人だなあと思っていました。今回の志村けんさんについてのコメントでいっそうその感を強くしました。

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志村けんさんを上のように評価していた山下達郎さん、自分も「一音楽家」として単に楽曲に関わっていただけと言いたかったのかもしれません。それだったらなおのこと、聴く人を選別するような言い方はすべきではなかったし、とても残念に思います。

さらに次のブログに続きます。(ジャッピー!編集長)