ひとつ前の当ブログで書いたように、「怪童」と言われた中西太さんが5月11日に心不全で亡くなりました。90歳です。心よりご冥福をお祈りいたします。
この訃報は大きく伝えられましたし、そのバッティングの「伝説」は人口に膾炙されていますよね。すさまじいスイングでファウルチップしたボールの皮が焦げた匂いがしたとか、ベンチ前で素振りをしている中西選手のスイング音が反対側のベンチまで聞こえてきたとか、ほとんど「漫画の世界」です。『巨人の星』のオズマ選手の「見えないスイング」なみです。
対戦した投手の証言も色々残っています。南海ホークスの杉浦忠投手が「ショートライナー」と思って振り返ったらレフトスタンドの看板に当っていたとか、大映スターズの林義一投手の正面を襲った「ピッチャーライナー」がぐんぐん伸びて平和台球場のバックスクリーンを超えたなんてのも有名です。この林投手から打った一発は160メートル弾として知られていますが、まだ正確な計測技術もなかったころとあって180メートルを超えていたという説もあります。
こういった、中西太さんの「トンデモ打球伝説」は枚挙にいとまがないのですが、僕がいちばん印象に残っているのが高松一高時代、中西選手が打撃練習をするときは内野手を全員、外野を守らせたというエピソードです。これは打球が外野に飛ぶからではなく、もし内野で打球をくらったら大怪我をするのを心配したからということです。つまり「避難」させるための練習シフトです。
このエピソードが強く印象に残っているのは、昔、プロ野球で(奇しくも西鉄ライオンズ)、キャンプ中にフリーバッティングの打球を受けて投手が亡くなるという事故があったことを覚えていたからです。たしか、1969年入団の東尾修投手の同期の選手だったと思います。以前、東尾さんがラジオの解説をしていたときに話題に出した覚えがあります。
それで高松一高の「中西シフト」?の話もよく覚えているのですが、部活動としてちゃんと「危機管理」ができていたわけですよね。まあ、そうさせてしまう打球を放っていた中西太さんのスゴさも際立ちますが。やはり「怪童」だったのです。(ジャッピー!編集長)