3つ前の当ブログに書いたように、『男はつらいよ』(1969 山田洋次監督)の封切時の併映作は『喜劇 深夜族』(1969 渡辺祐介監督)でしたので、松竹の映画館は渥美清さんと伴淳三郎さんという浅草出身のコメディアンが2人、看板に並んだわけです。

『男はつらいよ』でおいちゃん役だった森川信さんも舞台の軽演劇から出た方です。元々は大阪で「ピエルボーイズ」という劇団にいて、のちに浅草に出てきたのです。おいちゃん役の森川さんしか知らないと意外ですが、レビューに出ていたから歌も踊りもこなしていたといいます。「踊りをやっておくと舞台姿が綺麗になるからね。動きもよくなるし、人に見てもらう商売の基本は踊りだよ」と語っていたそうです。

浅草の舞台に出ていた当時から「受け」の芝居に長けていたという森川信さん、やはり舞台出の三崎千恵子さん、渥美清さんも加えての軽演劇的なノリが初期の寅さんシリーズの面白さの核になってますね。森川さんの「おい、まくら、さくら出してくれ」なんてセリフもアドリブということです。寅さんを心配しながら「バカだねぇー、あいつは」というセリフの間も絶品でしたねえ。

残念ながら、森川さんは第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971 山田洋次監督)を最後に亡くなり、おいちゃん役は松村達雄(相当難色を示したらしい)、さらに第14作』男はつらいよ 寅次郎子守唄』(1974 山田洋次監督)から下條正巳に交代となります。お二人とも新協劇団という戦前のプロレタリア演劇の流れをくむ新劇人(下條さんはさらに「劇団民芸」にも)なので、寅さんとのからみも当然変化していきます。次第にシリーズの色彩が変わっていくひとつの要素だったと思います。

ちなみに、森川信さんは浅草時代から女性にモテモテで、一座に1か月特別出演した当時の大スター・水戸光子さん(日本に帰国した際、小野田寛郎さんが大ファンと言ってました)が首ったけになって電撃結婚したほどです。半年ほどで離婚となってしましたが、それもまた、森川さん「らしい」と言われたのです。 (ジャッピー!編集長)