このところの当ブログで、1969年~1970年にプロ野球界に吹き荒れた「黒い霧事件」は読売グループが西鉄ライオンズ潰しの意図を持って報じたのではないかということを書いています。

読売新聞の北九州における勢力拡大という狙いに加えて、1956年から1958年にかけて日本シリーズで西鉄ライオンズに苦杯をなめたことへの復讐もあったと思います。読売系の「報知新聞」が先陣をきった「黒い霧事件」報道によって、ライオンズのエース・池永正明投手は永久追放になって弱体化、1973年には「身売り」ということになり、読売の思惑通りに進みました。

しかし、ライオンズは「太平洋クラブ」→「クラウンライター」を経て「西武ライオンズ」となって所沢に移転してきます。読売ジャイアンツは、その西鉄ライオンズに球界のチャンピオンの座を奪われるのです。

象徴的なのが、1990年の西武ライオンズ対ジャイアンツの「日本シリーズ」です。4連勝、しかも第1戦は5対0、第2戦は9対5、第3戦は7対0、第4戦が7対3と全て4点差以上という圧勝ぶり! まさに赤子の手をひねるような感じで巨人をスイープしたのです。

また、このときに西武は4戦で使ったピッチャーは6人だけ。第1戦が渡辺久信投手の完封、第2戦は工藤公康投手、潮崎哲也投手、鹿取義隆投手の継投。第3戦は渡辺智男投手が完封、最終戦が郭泰源投手から潮崎投手につないでと、4試合のうち完封が2試合。当たり前ですが、リリーフも勝ちパターンの鹿取さん、潮崎さんしか出ていません。4試合で延べ7投手です。いかに1990年の西武が横綱相撲だったかと分かります。

もちろん投手だけでなく、打撃、走塁、守備すべてに巨人とはレベルが違い過ぎた西武ライオンズ。当時、森監督に率いられたライオンズは1986年から日本シリーズ3連覇、1989年は近鉄バッファローズに優勝を奪われたもののまた、この1990年から日本シリーズ3連覇を果たします。短期決戦の鬼と言われた森監督の下、ひとりひとりの選手がやるべきことをきちんと判っていてゲームに入っていたのですね。この日本シリーズを観たとき、本当にただ投げて打つだけの巨人は子ども扱いされているなあと感じました。たしか、巨人の選手(岡崎郁選手だったか)が「野球観が全く変わった」といった発言をしたと思います。

あらためて、この1990年のライオンズのメンバーを見ると、辻選手、石毛選手、秋山選手、伊東捕手、渡辺久信投手、工藤投手とのちに監督になった選手が6人もおります。しかもオリックスで監督をした石毛さん以外は優勝経験ありという実績です。(薬物で逮捕された清原選手もいますが……) 一方、ジャイアンツの方はこのときのメンバーで監督にまでなったのは原辰徳選手ただひとり。このときの個々の選手のレベルが「人材」という点でも如実に差をつけていたのです。 (ジャッピー!編集長)