ひとつ前の当ブログで書いたように、1969年~1970年にかけてプロ野球界に起こった「黒い霧事件」は最初にスクープしたのが読売系の「報知新聞」ということもあって、北九州での部数売り上げを狙った読売の「西日本新聞」潰しが根本にあったのではないかと言われています。

「西日本新聞」が西鉄ライオンズのスポンサー企業のひとつだからですが、さらに言えば「西鉄ライオンズ」を潰してしまえという思惑すらあったと思います。当時のプロ野球は巨人が圧倒的な人気がありました。「実力のパ」と言われながら人気面では「お荷物」だったパ・リーグの何球団かを潰して、合併吸収して「1リーグ」にしようという構想があったようです。その後、選手会ストライキなんかがあった頃、この「1リーグ構想」はまた再浮上しましたね。

そのような思惑の中、西鉄ライオンズをターゲットにしたのは、かつて1956年~1958年に三原脩監督率いる西鉄ライオンズに日本シリーズで3連敗した屈辱に対する怨念もあるでしょう。ライオンズの拠点・九州に「読売新聞」を拡大し、ジャイアンツ王国にして復讐を果たそうとしたようです。

そして、報知新聞がリードして報じた「黒い霧事件」は社会問題化し、絶対エースの池永正明投手も永久追放になってしまいました。「敗退行為」をしたという何の確証もないまま、「永久追放」とは、「球界の盟主」を自認する読売がコミッショナーに一押ししたのでしょう。こうして、池永正明さんという不世出の投手を失った西鉄ライオンズは戦力も大幅ダウンし、1970年から3年連続最下位になってしまい、観客動員も激減、とうとう1972年オフに「球団身売り」となってしまうのでした。

読売の目論見どおりに進んだわけですが、そのために、ひとりの有能な投手の野球人生を断ってしまい、彼が今後もどんな活躍をするか楽しみにしていたファンの夢も奪ったのです。自分たちさえ良ければ、強引に物事をすすめゴリ押してもいいという姿勢は、のちの「江川事件」にもあらわれていますね。まったく、どこかの政党とよく似ています。(ジャッピー!編集長)