ひとつ前の当ブログで、池永正明さん(2022年9月25日、享年76歳)の卓越した身体能力について取り上げました。

その中で、「黒い霧事件」に巻き込まれて永久追放になったあと、ゴルフを始めたら1か月でハンディが3になったということも書きました。ゴルフでも非凡な才能を見せた池永正明さんを、尾崎将司さんがプロゴルフ界に誘います。実は、尾崎将司さんは池永正明さんと一緒に「西鉄ライオンズ」に入団した同期生なのです。

尾崎将司(プロ野球時代はは正司)さんは徳島海南高のエースとして1964年(昭和39年)の選抜高校野球大会で優勝しました。池永正明投手は下関商の2年生エースで前年1963年(昭和38年)の選抜優勝投手ですから、西鉄ライオンズは甲子園優勝投手を二人、同時に獲得したのです。(当時はまだドラフトがなかった)

しかし、尾崎投手はブルペンの隣で投げる池永投手のピッチングを見て自信を失います。一目見て「こいつにはとても勝てない」と思ったのです。実際、高卒1年目でいきなり20勝をあげた池永投手に対し、尾崎さんは0勝1敗に終わります。翌年も0勝に終わった尾崎さんは3年目は野手に転向しますが、1軍ではわずか2本のヒットを打っただけ、打率.048という結果でした。結局、この年限りで退団、尾崎さんはプロゴルファーを目指します。そして、その大柄な体を活かしたショットで頭角をあらわし、プロテストに合格、のちに「ジャンボ尾崎」としてゴルフ界を引っ張ります。

わずか3年でライオンズを退団した尾崎さんは「別の世界で池永に勝ちたい」という気持ちだったと、後年の記事で読んだことがあります。プロ野球では池永投手にかなわなかった尾崎さんですが、その挫折を糧にしたのですね。

その尾崎さんが、池永さんの苦境を見てプロゴルフ界に誘ったのです。「池永ならゴルフでもスターになれる」と思った尾崎さんは実際に、プロゴルフ界の上層部に働きかけたそうです。しかし、実現しなかったのは、ゴルフ界が池永さんの「永久追放」に拘りイメージダウンになってしまうと思ったのでしょうか。実現すれば、尾崎さんと池永さんの「ライバル伝説」の第2章が見られたかもしれないのに、残念でなりません。(ジャッピー!編集長)