ひとつ前の当ブログの続きです。

昨年2022年9月25日に76歳で亡くなった池永正明さんがどんなにスゴイ投手だったかということを書いています。1965年西鉄ライオンズに入団、1年目にいきなり20勝で新人王。高卒1年目で20勝はそれ以後出ていません。今は、どんな有望投手でも高卒1年目は「体力作り」がスタンダードになっています。「投げさせない」ことも珍しくありませんから、もう出ることのない記録でしょう。

池永正明さんは下関商のエースとして、2年生のとき春の選抜で優勝、夏は準優勝を果たしましたが、実は中学校のときはいくつかの陸上競技で日本一になっています。100メートルは11秒8を記録していますから、全身バネのような体だったのでしょう。その優れた身体能力、どんなスポーツをやっても一流になったように思います。

実際、池永正明さんは「黒い霧事件」に巻き込まれ永久追放になったあと、ゴルフを始めたら、わずか1か月でハンディ3になったといいますから、驚異的です。もし、このときプロゴルフ界に入っていたら、西鉄ライオンズ同期の尾崎将司さんのように活躍できたと思います。いや、「断じて八百長はやっていない」という池永さんを「永久追放」にしなければ、野球界でどんな記録を作っていたか。

高卒から5年1か月で103勝をあげた池永投手ですから、少なくとも20代のうちに200勝はいったでしょう。300勝の可能性も大いにありました。若いのに投球術に長けたタイプでしたから、球威が落ちてベテランになっても勝てるピッチャーになっていたと思うのです。

池永さんは打撃も優れていて、13本もホームランも放っています。投手ながら6番を打ったこともありますし、たしか代打で起用されたこともあったと思います。のちにパ・リーグで「指名打者」が採用されてから、起用された可能性もあったんじゃないかなあ。そう、大谷翔平選手の遥か前に「二刀流」で成功したかもしれません。とめどなく妄想が広がってしまう、池永正明さんはそんなスゴイ選手だったのです。(ジャッピー!編集長)