ひとつ前の当ブログの続きです。

2019年公開映画を対象にした「第43回日本アカデミー賞」で『新聞記者』(2019 藤井道人監督)が最優秀作品賞を獲得したのを知ったときは驚きました。

それまで政権に忖度しているように見えた「日本アカデミー賞」が『新聞記者』に作品賞を出したのは、この当時に相次いだ、映画をはじめとする芸術への「権力」の介入へのアンチがこめられていたのかもしれません。以前、当ブログにも書きましたが、『宮本から君へ』(2019 真利子哲也監督)に対し、後から助成金を取り消すなど理不尽な介入があったのです。これは『新聞記者』や、『i―新聞記者ドキュメント』(2019 森達也監督)のプロデューサー、河村光庸さんへの嫌がらせともいえるような介入で、こういった一連の圧力に反論を示したように思います。

もちろん、『新聞記者』が作品としても良いことはもちろんですが、映画人や芸術家(2019年は「あいちトリエンナーレ」の一件もありました)が表現の自由に危機感を覚えたことの表れであるように思えます。

また、本家、米国のアカデミー賞で『パラサイト 半地下の家族』(2019 ポン・ジュノ監督)が受賞したことも大きいかと思います。「格差」を描いた作品内容は、分断を進行させるトランプ大統領という権力へのアンチであるし、初めて非英語の作品が受賞するという側面も、このときのシム・ウンギョンさんの主演女優賞を後押ししたように思えます。元々、米アカデミー賞の模倣で始まった「日本アカデミー賞」ですから、そういった影響が反映されることは大いにあるでしょう。

僕なんか、ついこの前始まったように思ってしまう「日本アカデミー賞」ですが、回数を重ねてそれなりの歴史を築いています。もう権力におもねったり、大手会社の思惑で偏ったりしないように、賞の意義と価値を高めていってほしいですね。

そして、願わくは授賞式で受賞者が、社会的発言できるような空気になればいいと思います。俳優だって一人の人間で、自分の出る作品は今生きている社会と無縁ではないのですから。俳優や歌手はいっさい政治的発言をするべきでないという意見もあると思いますが、それなら知名度だけで芸能人を立候補させる方がよっぽどえげつない気がします。  (ジャッピー!編集長)