当ブログ2月12日で、宝田明さんと高島忠夫さんが共演した『嵐を呼ぶ楽団』(1959 井上梅次監督)を取り上げました。お二人とものちに舞台のミュージカルで活躍されましたが、宝田明さんは昨年2022年3月14日に87歳でお亡くなりになりました。

高島忠夫さんの方は、2019年6月26日に88歳でお亡くなりになりました。高島さんは晩年は鬱病になられたり病気がちだったのでお苦しかったと思います。高島さんの愛称は「ボンちゃん」。テレビの司会などやるようになって、ゲストの方からも気軽に呼ばれていました。司会では何といっても『クイズ・ドレミファドン!』ですよね。高島さんの「イエーィ」という掛け声?が印象に残っています。

「ボンちゃん」とは関西でいう「ボンボン」から来ています。お祖父さんが大地主だった高島さんは本当に筋金入りのお坊ちゃまなので、そういった育ちの良さがどうやったって滲み出ます。奥様の寿美花代さんも「怒った顔なんか見たことない」というようなことを話しているのをテレビで観たことがあります。

そんなキャラクターの高島忠夫さんは1951年に「新東宝」のニューフェイス1期生として入社します。同期に天知茂さん、久保菜穂子さんなどがいます。のちにニヒルな屈折した役が多かった天知さんとは好対照、高島さんは純情で好青年というイメージを持ち続けました。やはり生まれ持った「育ちの良さ」「人の良さ」というのが大きかったのでしょう。悪い役の高島さんというのはちょっと記憶にありません。

そんな高島さんのマジメで優しい個性がそのまま活かされた映画、『愛の砂丘』(1953 青柳信雄監督)を次のブログで紹介します。(この項、続く) (ジャッピー!編集長)