ひとつ前の当ブログで、「青猫書房」で開催されていた『永山則夫さんの残したもの』で展示されていた瀬戸内寂聴さんの手紙を読んだとき、山上徹也さんを思い出したと書きました。

というか、7月8日に選挙応援中にアベ晋ゾーが銃撃されて死に、その後、銃撃した山上徹也さんのそこに至るまでの半生が報じられたとき、僕は即座に永山則夫さんのことを思い出したのでした。

僕は、永山則夫さんについては『無知の涙』などの著作を読んできたし、佐木隆三さんの『死刑囚 永山則夫』などの関連本、『略称連続射殺魔』(1969 公開は1975 足立正生監督)や『裸の十九才』(1970 新藤兼人監督)も観ています。教員時代は、授業で彼の死刑の記事を使ったこともあります。

そのような「思い入れ」もあったからかもしれませんが、子どもの頃から苦しみを味わい、それでも何とか社会の中で生きていこうとするも「どうにもならない」ことが犯行に至らしめたという、彼らの背負ってきた「物語」が似ていると感じたのです。

もちろん、盗んだ拳銃で罪もない人を4人も殺した永山さんと、悪の宗教と繋がりのある首相を殺した山上さんを全く同列に並べるつもりはありません。しかし、極貧の中、親に捨てられ、幼い妹たちと浜辺で食べ物を拾っていた永山さん、母親が過剰な献金で破産し兄も自殺、家族が崩壊してしまった山上さん、誰にも頼れず、相談もできず、社会の片隅でその不運、怨嗟、絶望を抱えこみ、それがついには暴発したという点で共通するものがあると思います。永山則夫さんの事件から50年以上経っても、ぜんぜん社会は変わっていないように思えてしまいます。

これを「不運」で「可哀想な」個人として片付けてはいけないと思うのです。その背景にある、社会の矛盾や理不尽に目を向けなければいけないのです。

事件のあと、そんなことを考えていたので、今回、教えてもらって『永山則夫が残したもの』展に行けて良かったです。(ジャッピー!編集長)