ひとつ前の当ブログの最後のところで、阪神タイガースのバッキー投手に触れました。

昭和のプロ野球ファンの方にとっては懐かしい選手ですよね。そのジーン・バッキー投手は2019年9月14日、82歳で、故郷のルイジアナ州で息を引き取られたそうです。

僕のバッキー投手の印象はとにかく「でかい」ということです。今でこそ、外人ピッチャーは各球団にたくさんいて見慣れましたし、日本人も大谷翔平選手のような体格の選手がでてきましたが、当時はこっちも子どもだったせいか、とんでもなく大きなピッチャーという感じがしました。当時のバッキーさん、193cmです。

大学在学中にマイナー・リーグに入ってメジャー・リーガーを目指していましたバッキー投手ですが、芽が出ず解雇されてしまいます。ハワイのチーム(当時あったんですねえ)に在籍していたバッキーさん、すでに結婚もされていたのですが、ルイジアナに戻るお金もありません。困っているところにハワイ日系人から誘われ「ハワイ朝日軍」というセミプロチームに加入、そこから日本のプロ野球に紹介してもらうチャンスが生まれたのです。

阪神のテストを受け、1962年7月に入団。外人選手といっても、鳴り物入りというわけでなく、テスト生だったのです。契約金なし、月給は3万円だったそうです。奥さんを呼び寄せ、甲子園裏の安アパートで暮らし始めます。雑誌に載っていた写真で見たことがありますが、本当に庶民が暮らすアパートという感じで畳の部屋で寝転がっているのが窮屈そうでした。

自転車で甲子園球場に通っている姿がお馴染みだったといいますから、元・広島のエルドレッド選手の元祖ですね。一番困ったのは、和式トイレだったそうで、バッキーさんのような大男が膝を曲げてふんばるのは苦しかったでしょう。(昭和は洋式トイレってめったになかったもんなあ! 僕なんかたまに洋式に入ると落ち着かなかったよ) (この項、続く) (ジャッピー!編集長)