ひとつ前の当ブログで書いたように、1978年の夏、王貞治選手のホームラン世界一を巡る狂騒が起こり、「756号」を打たれた投手に海外旅行を贈るなんて酷い企画を出したスポンサーも現れる始末でした。

考えてみれば、これって「敗退行為」を招くような企画ですよ。「海外旅行」目当てに、甘い球を投げるピッチャーを出しかねませんから。幸い、そんな投手はいなかったのですが。まあ、それ以前に「失礼な」ものであることはひとつ前の当ブログに書きました。

1978年の9月3日に「756号」を打たれたヤクルトの鈴木康二朗投手は、もちろん「海外旅行」を辞退しました。逃げずに真っ向から勝負をして、打たれてしまった投手にも意地がありますからね。たぶん、誰が打たれても「辞退」したでしょう。

当時、松岡弘投手、安田猛投手とともに「先発3本柱」を形成していた鈴木康二朗投手は長身で、シンカーなどで打ち取るタイプでした。軟投派ということもあり、大人しそうに見えたのですが、実はけっこう血の気も多かったとか。それを知ったのは、近鉄に移籍したあとのこと。鈴木康二朗投手は近鉄では「抑え投手」として活躍しましたが、ある試合で乱闘になって鈴木投手もブルペンから突進、このとき右腕を痛めてしまい選手生命を縮めてしまったそうです。見た目と違って、案外、気が強かったと聞いて意外な感じがしました。

乱闘で投手生命を縮めてしまった例としては、1968年のバッキー投手(阪神)が有名ですね。王貞治選手への頭付近への投球を巡る乱闘で、荒川博コーチの合気道で右手親指を骨折してしまったのです。

ケンカっ早い投手といえば、金田正一投手ですが、カネやんは乱闘に参加するときも左手に必ずタオルを巻いて出ていったといいます。さすがですね、自分の商売道具をまず守る。これこそプロフェッショナルです。(ジャッピー!編集長)