ひとつ前の当ブログの続きです。8月11日に「第11回戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」で広島で被爆した山本宏さんのお話です。

山本宏さんは大きな松の木にもたれていたおかげで命をとりとめました。しかし、後頭部と腕にヤケドを負い、後頭部などはボールのように腫れ、腕もやがて膿んできます。薬もないので、小便を塗って応急処置したそうです。

そんな山本さんが「見た」光景でいちばん辛かったのは、校庭に2000人もの死体が積み上げられ、焼いていたところだとおっしゃいました。原爆が投下された2日後の8日あたりから、山のように積まれた死体を焼き始めたそうで、しかも、その作業は昼間だけなので、「生焼け」で翌日回しになった死体も多かったそうです。山本宏さんは、牛や豚と違って、人間の肉は焼くと何と臭いのだと思ったそうで、その「匂い」が町中にずっと漂っていたといいます。7歳の子どもが見たこの光景と「嗅覚」に残った記憶は強烈に残ったでしょう。

その後、この校庭にサツマイモを植えたそうですが、掘り出すと「人骨」が出てきたそうで、あれほどの食糧難でも皆、食べれなかったそうです。そうですよね、無惨にも原爆の犠牲になり荼毘にふされた方々の人骨が出てきたのですから。よく「生き残った」申しわけなさも感じた人も多かったといいますよね。

このお話を聴いて、「沖縄戦」で亡くなった方々の遺骨が含まれる土砂を辺野古埋め立てに使おうとする政権は、本当に戦争の犠牲者を悼む気持ちなんかないのだと強い憤りがよみがえってきました。(この件については当ブログ7月25日~26日をお読みください) (ジャッピー!編集長)