「シリーズ:アベ晋ゾーを忘れない」では、当ブログで過去にアベ晋ゾーについて書いた文章を再録しています。アベ晋ゾーが「国葬」にふさわしい人間なのか検証するために、振り返っているのです。当ブログ2021年3月12日「悪夢とはお前のことだろ、アベ晋ゾー!」(←我ながら、いいタイトルだと思います)を以下に再録します。

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ひとつ前の当ブログで書いたように、『Fukushima 50』(2020 若松節朗監督)は、政権にとって「わきまえた」映画の匂い、のする映画でした。

震災により大変なことになった原発で、命がけで現場の職務にあたった50人を讃えるだけで、そもそもの元凶となった原発批判はありません。ラストに至っては「そして、2020年、東京五輪が開催される。その聖火は福島からスタートする」と締めるえわけですから、これが福島で被災し、いまだに故郷に戻れない方々が観てどう思うのか。「原発ありき」、「五輪ありき」が前提になっている映画なのです。

そういえば、この映画の中で、佐野史郎さん演じる首相が、大変な状況の福島第一原発に出張ってきて混乱に拍車をかけるという描写がありました。もちろん、当時の菅直人首相をモデルにしているわけで、当時から問題行動とされていました。

しかし、このくだりがかなり粘っこく撮られていて、佐野史郎さんの達者な悪役演技もあって強く印象に残るようになっていました。このあたり、何でも「悪夢のような民主党政権のときは……」とディスるのがお得意のアベ晋ゾー政権(映画公開当時)に忖度しているように見えます。

僕がこの映画を観た頃、モリ雅子法相が「大震災のとき検察官が真っ先に逃げた」という文脈不明の狂った答弁をしたことがありましたね。正気を疑いましたが、このときも「当時は民主党政権ですが……」という前置きを忘れませんでしたよね。もしかしたら、この政権では何か言うときには「民主党政権では……」というフレーズを付けるようにと訓練されているのですかね。それぐらいですから、この『Fukushima 50』にもそういう「何か」の力がはたらいているのかもしれません。

たしかに、あのとき当時の民主党政権の菅直人首相が邪魔だったという批判がありました。しかし、枝野幸男さんなんかも寝ないで対応していたり必死に国難に対応する姿勢があったように思います。少なくとも、「新型コロナ対策会議」が開かれているのに欠席して、地元の後援会などに出て媚びていたコイズミ“ポエマー”進次郎、ハギューダ“身の丈”光一、モリ“意味不明”雅子大臣なんてのよりは緊張感あったし、まともに取り組んでいたと思いますよ。そもそも、アベ自身が「不要不急の外出は控えろ」と言いながら、連日のグルメ三昧でしたからね。あげくは原稿読むだけの会見ときては、どちらが「悪夢」なのかは火を見るより明らかでした。

「国民のために働く」政治を標榜していながら、昨年末、コロナ感染者数が拡大しているのに国会をさっさと閉じてたスガーリン政権。あげくは次々に違法接待が発覚。見事にアベ一狂政権を継承していますね。いったい悪夢とはどっちのことでしょう。

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いまだに故郷に戻れず、避難生活をしている福島県の方が多数おられるのに「国葬」なんて、ありえないでしょう。大事なことなので何度でも言います。「国葬」を即時、撤回せよ!  (ジャッピー!編集長)