ひとつ前の当ブログの続きです。

『男たちの旅路』の「シルバー・シート」の回、老人ホームに入っている4人の老人(笠智衆さん、加藤嘉さん、藤原釜足さん、殿山泰司さん)が都電をジャックし、車庫に停まっている車両に閉じこもります。

杉本(水谷豊さん)らが説得しようと試みますが、老人たちは何にも応えません。何のためにジャックしたのか、何か要求があるのかも言わない「沈黙の都電ジャック」に、吉岡司令補(鶴田浩二さん)が乗り出します。

この吉岡司令補との対話で、ようやく老人たちが語るのが、「私たちが黙々と働いてきたあげく、使い捨てられたんだ。いずれあんたもそうなるんだ」ということです。吉岡司令補は自身の戦争経験を話し説得をしようとしますが、老人たちは動こうとしません。『男たちの旅路』では、吉岡の特攻の話などで現代(戦後)の若者たちに説教したり、論破することが常でしたが、この回は戦中派の自分より一世代上の老人たち相手で、いつものようにいかないのです。

僕はこの「シルバー・シート」をリアルタイムと再放送で2回観ているのですが、とても印象に残っているセリフがあります。「私ら年をとった人間はね、あんたらが子どもの頃、この電車を動かしていたんだ。踏切を作ったり、学校を作ったり、米を作っていたんだ。あんたが転んだとき、起こしてくれた人間かもしれない」というものです。静かに諭すように語られますが、そんな彼らがもう力がなくなった、用がなくなったといって見捨てていいののか!という叫びが聞こえてくるのです。

また、「今は耄碌したバアさんでも立派に何人もの子どもを育ててきた。それだけで敬意を示されるべきじゃないのかね」というセリフもあったと思います。今は年取ったというだけで、その人がしてきたこと、懸命に生きてきたことに敬意を持つどころか、余計者にしてしまう社会への憤りが伝わってきます。こういったセリフを書ける山田太一さんに感服したのを覚えています。

『PLAN75』(2022 早川千絵監督)で描かれる、高齢者をゴミのように処分していく制度には、その人がどんな風に生き、仕事をし、笑い、泣き、暮らしてきたかに対する敬意は皆無です。まるでベルトコンベアに乗せられるように「死」に送られるのです。

「プラン75」は架空の設定ですが、現実社会は既に、真面目にやって来た人が「報われない」社会になっていますね。(ジャッピー!編集長)