NHKの朝ドラ『ちむどんどん』は、ヒロイン・暢子(黒島結奈さん)が東京、姉(川口春奈さん)と妹(上白石萌歌さん)が暮らす沖縄が並行して描かれています。

先週月曜日(5月30日)は、沖縄、東京、両方のシーンのバックに南沙織さんの「17歳」が流れていました。「17歳」は1971年のヒット曲で、暢子が上京した1972年(沖縄本土復帰の年)より前ですから、この時点で最新ヒットではないですが。

「17歳」をはじめ、南沙織さんの一連の曲の作詞をなさったのが有馬三恵子さんです。沖縄でスカウトされた南さん(見い出したのは「ヒデとロザンナ」のマネージャー)には、当初「南陽子」という芸名が用意されていました。それに対し、「沙織」というのを強く主張したのが有馬さんでした。

たぶん「陽子」は南国生まれだから陽気なイメージとつけられたのでしょうが(たしかに小麦色の肌で健康的なイメージで売り出されました)、有馬さんはそれだけじゃなく、「哀愁」や「翳り」というものが表現できる歌手だと見抜いて「陽子」に反対したのではないかと思います。

実際、デビュー曲「17才」(1971)以降、ほとんどの歌詞を手掛けた有馬さん、作品を重ねるごとに南さんの成長に合わせるように大人っぽい歌詞を書くようになります。「潮風のメロディ」(1971)、「ともだち」(1972)はまだ少女のイメージを残し、4枚目のシングル「純潔」(1972)は能動的な女性に一歩進んだ感じだし、続く「哀愁のページ」(1972)ではしっとりと ♪さよならするたびに 大人になっていく恋人たち と歌われます。

そして、次の「早春の港」(1973)では ♪ふるさと持たないあの人の 心の港になりたいの と優しく包み込むような大人の女性という感じの歌詞です。(この曲は元々はアルバム収録曲で人気が高かったためシングル化)「傷つく世代」(1973)を挟んで「色づく街」(1973)では ♪愛のかけら 抱きしめながら 誰もみんな女になる気がするの さよならはその日のしるしよ と綴られます。名曲です! と、南さんのシングル曲を辿るだけで、有馬さんの歌詞の文学的な美しさも相まって「連作私小説」のように思えるのです。

南さんも1975年以降、ユーミン(まだ荒井由実さんでした)、尾崎亜美さん、落合恵子さん、あるいは男性作家、松本隆さん、つのだ☆ひろさん(漫画家つのだじろうさんの弟ですね)などが作詞した曲を出していきますが、外国曲のカヴァーを除けば実質ラスト・シングルとなった「Ms.」は再び有馬さんが作詞をなされましたから、本当に「南沙織」さんというひとりの歌手として女性としての青春を有馬さんが綴ってきたと言えるでしょう。(ジャッピー!編集長)