ひとつ前の当ブログに書いたように、1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』は渡哲也さんが主演ということがあったのか、日活系のキャステイングが目立っていました。

渡哲也さんは病気で早々に降板、松方弘樹さんに交代したり、脚本の倉本聰さんも途中で降りてしまったりするこの『勝海舟』で印象強かったのは、やっぱり萩原健一さんでした。「人斬り以蔵」の役で、暗殺者として利用されながら坂本竜馬(藤岡弘さん)への共感もあり葛藤する様を熱演していました。

1974年といえば、『青春の蹉跌』(1974 神代辰巳監督)に出た年で役者・ショーケンがまさに旬を迎えた頃です。そういえば、ショーケンはこの作品で「キネマ旬報男優賞」(当時は主演・助演の別がなく、「男優賞」ひとつでした)を受賞されたのですが、女優賞が『サンダカン八番娼館 望郷』(1974 熊井啓監督)の田中絹代さんでした。並んで賞を受けた、新しい感覚の役者とベテラン女優が翌年、倉本聰さんの脚本による『前略おふくろ様』(1975~1976 第2部1976~1977)で母子の役になったわけです。

ふたつ前の当ブログに書いたとおり、ショーケンは『前略おふくろ様』に主演、新境地を開いていきます。その第2部の最終回は1977年4月1日でしたが、その前の回でサブちゃん(萩原健一さん)のお母さん(田中絹代さん)のお葬式のシーンがありました。それは実際に田中絹代さんが亡くなった3月21日の直後だったので、ものすごく記憶に残っています。

まるでドラマとシンクロしたように亡くなった田中絹代さん、その年の1月に倒れ入院直後には視力を失ってしまいます。お見舞いに来た小林正樹監督(絹代さんの又イトコ)に「目が見えなくても、できる役はあるかしら」と訊いたそうですから、その「女優魂」は最後まで衰えなかったのです。(ジャッピー!編集長)