送り番号が51になりました。
最近新たなお問い合わせも増えて来ましたので、改めて発病からの経緯をまとめてみました。
遡るのが面倒な場合は、こちらを参考にして頂き、気になる箇所だけ通し番号の箇所に遡って読んでいただければと思います。
それでは、
2007年
腹部膨満感と頻繁な下痢が続き、地元総合病院A内科にて診察。
大腸内視鏡を初めて実施。
ポリープ3つを取る。
腹部膨満感に変化なし。
大腸内視鏡の際、「異様に腸壁がツルツルだなー」との呟きを聞くが(私もモニターで目撃)、その後、診察時に「変だねー」と言いながらも特に対処は無く、治療終了となる。
この間、ハードワークに復帰。
映画観賞中に突然、腹部に腸がグリンと動いたような違和感と痛みを感じる。
帰宅後、発熱。
2009年10月18日
発熱続き、インフルエンザが大流行していたので大事をとって休日診療をやっている市役所の診療所Bへ行く。
幸い、インフルエンザでは無く、腹にくる風邪との診断で、一日分の薬だけ処方され帰宅。
2009年10月19日
症状が快復しないので、かかりつけの個人病院C医院へ。
同じく風邪だろうとの診断で、3日分の風邪薬を処方され帰宅。
この夜から腹痛が強くなる。
2009年10月20日
再度、C医院へ行き症状がおかしい事を伝えると、エコーを実施。
医師がエコーしながら「下腹部になにかありますね。」との事で、総合病院A内科への紹介状を書き、CTの依頼をしてくれた。
2009年10月21日
2年前に大腸内視鏡を行なった医師の元へ。
ところが血液検査だけでCTを撮らずに、様子を見ましょう的な対応で終わらせようとしたので、紹介状にCTの依頼がある事を指摘すると「ああ、そうですね。一応撮っておきますか?」と面倒そうな反応。あとで分かったが、この医師は午後から外出する予定になっていた。
やっとの事でCTを撮ると、外科Dの医師が飛んできて、突然車椅子に乗せられ移動。
医師Dが言うには、「恐らく、既に盲腸が破裂して腹部に膿が充満しています。一刻を争うので今すぐ開腹手術を行います」との事。
事態急変の瞬間です。
間に合えば、2〜3時間の手術との事でしたが、夕方に始まった手術は深夜に及び、家族もパニックでした。
結局、8時間して生還したのですが、その後、医師から「見たこともない状況で、手に負えませんでした。原発は盲腸で虫垂癌ですが、問題は膿ではなく得体の知れない粘液が至る所に入り込んでいて、残念ながら50%程度しか取れませんでした。」との事。
取れた偽粘液腫は5キロ位だが水を数万リットル使ったらしい。
頑張ってもらった感はありました。
その後、正体は「腹膜偽粘液腫」と診断があり、今後の事を相談すると根治は不可能で都度、対処療法だけを行うとの事。
この時点で余命1年宣告。
具体的にどんな感じになるなるのか聞いてみると、「偽粘液腫が増え続けるので、その都度、抜くか開腹して処理する。恐らく身体が耐えられるのが、5回の処理で、それが1年後になるだろう」との診立てだった。
因みに、「腹膜偽粘液腫」には抗癌剤は効かないだろうとの事だった。
要するに、無治療。
その時点では「なるほどそうなのか」と変に納得したが、何から何まで聞いたことのない話なので、駄目なら駄目で一応病気について調べて勉強してみることにした。
まだ、術後入院中の事でした。
この入院期間は3週間でした。
チョット早かったのですが、無理言って退院した覚えがあります。
この時、既にネットで米村先生の存在を見つけていたので早く会ってみたかったんですね。
で、退院後1回目の診察時に草津総合病院に行ってみたい事をD医師に相談したところ、少々驚かれてましたが「まあ、いいんじゃないか?」的な返答を頂き、看護師さんからは「絶対に行くべき」とのアドバイスもあり決心。
直ぐに「腹膜播種センター」の勝谷氏に連絡を取り、急いだ方が良いだろうとの事で迅速に対応してもらいました。
2009年12月
草津総合病院初受診
血液検査とPETCT検査実施後、米村先生の初受診。
結構あっさりしていて、「大丈夫。全部取ったる」との事で根治治療するとの事でした。
場所が違うと、判断が180度変わる事を知った瞬間です。
診察後、勝谷さんからHIPECについてかなり詳しく説明を受け帰宅しました。
極大手術の上、抗癌剤と内臓を煮込んでしまうのでリスクもある事を知りましたが、やらなければ、どうせ切り刻まれて1年後には死ぬのだから選択に迷いはありませんでした。
尚、手術までの悪化防止目的で抗癌剤TS-1を6ヶ月間服用。
2010年6月
HIPEC実施(2回目の手術)
約10時間
偽粘液腫は全切除成功。
転移が予想される腹膜、胆嚢、脾臓、小腸一部、大腸一部は摘出。
体重は20キロ以上減り、高校生のときの体型に戻り、チョット嬉しかった。
82キロ➡︎60キロ
偽粘液腫だけで15キロ、摘出内臓5キロの内訳。
約2ヶ月の入院で合併症は無し。
多少の摂食障害がありましたが、徐々に回復。
2010年10月
復職
2011年3月
出張再開
ほぼ術前の状態に戻り、仕事量も120%と絶好調。
但し、排便障害には悩まされました。
2014年12月
再発発覚!
あと6ヶ月で5年クリアを目前に再発がみつかりました。
2015年3月10日
HIPEC2回目実施(3度目の手術)
約10時間
予想以上に偽粘液腫が多かったようですが、見えるものは全て除去。
但し、小腸の一部と、大腸のほとんどを摘出したため、長さが足りなくなりオストミーになりました。
また、術後に首の点滴針からの感染があり発熱。初めての合併症を経験。
首の針は刺し直しを試みるも、上手くいかず、右胸にポートを造設しました。
前回同様、摂食障害がありましたが、ポートを入れた事で、中心静脈栄養法が可能になったため、1ヶ月と3週間で前回より早く退院。
在宅医療を初めて体験。
草津総合病院と最初に手術をした地元病院外科Dと連携してもらい、在宅看護、薬局の24時間対応で約2ヶ月程お世話になりました。
尚、この間に6ヶ月間8クール、抗癌剤ゼローダを服用。
副作用も多少あったが、構わず復職の準備。
2015年10月
復職
在宅勤務を中心に仕事を再開
2016年2月
出張、セミナー再開
2016年6月
再々発発覚!
思いがけず早い再発だったが、実は前回の術後にもう一度再発の可能性がある事は示唆されていたので「もう来たかー」という感じで淡々と3度目のHIPECに備える。
2016年10月
HIPEC3回目実施(4回目の手術)
約8時間
主に偽粘液腫の除去が中心。
臓器は小腸の一部切除と十二指腸、横隔膜を削った程度だったが、臍の裏に張り付かれたので臍がなくなり、ストーマ保護のため筋膜を切除。
一番心配されていた小腸間膜の偽粘液腫は何故か消えていた。恐らくHIPECの抗癌剤が作用したのではないかと思われる。
術後初めての腸閉塞を発症。
退院後も3回腸閉塞を繰り返したが、中心静脈栄養点滴を持ち帰っていたので、病院に行かずに回復。
2017年3月
術後検診(MRI)
再発無く、米村先生よりほぼ完治の判断。
抗癌剤も行わないことにする。
2017年4月
復職
現在に至る。