このブログ、遊び方教室だってーーーもちろん! 人生の遊び方の意味だよ。


東京から山形へ嫁入りした三原ルツ子さん、山形の大蔵村で””””牛を飼いながらフランス料理レストラン”””

を営んでいるんです。


隠居は、外国の牛のBSEやら、養殖魚のペニシリン漬けやらで、日本の和牛牛こそ旨くて安心、と思って

いたのだけど、三原さんの話では、日本の牛は肉色を保つために青草を食べさせないのでビタミンA

欠乏で体がむくみ、霜降り肉にするために高タンパク穀類を与えるので肝臓がやられている、そうです。


無農薬野菜を好んで買ってましたが、肉までこうとは!


青草を食べさせて自然に育てた牛は、ちょっぴり固いんだそうですが、肉味がするんだそうです。


自家育ての牛を食べさせてる三原さんのレストラン「メーテール」で、その固いって言う肉を食ってみたいなあ。


最上郡大蔵村赤松1948-1(TEL0233-752075)へいつか行くぞう!


挑発的なタイトルですねえ。

野中尚人教授著「自民党政治の終わり」。論旨の正しさと言い、文章の平明さといい、

隠居絶賛の書ですね。

**

教授は、執筆着手を怠けているうち、書く前に自民党が無くなってしまうーー大変!と

焦ったと述懐しているが、どっこい、12月2日の新聞各紙は、自民党総務会は景気悪化

を理由に、公共工事関係費の圧縮削減路線を棚上げ凍結する方針転換を決議したと

報じていますね。これ、旧来の自民党へ引き戻す動きであって、教授の心配は

無用かなーーーーー?


この本は、戦後、自民党が長年の与党であり得た理由は、経済発展を謳歌しその成果を

自民党が配ると言う図式にあったことを解明し、その歴史の中で日本では

行政官僚が絶大な地位を占めてきた特殊な形になった理由が江戸期!からの歴史

にあることを興味深く書いています。


しかし、「戦後」が終わり、「冷戦後」へと大転換が進んだ歴史変化と、グローバル化の進行で、

日本の環境つまりは自民党の基礎であった上記理由が崩壊したため、①「城内の平和」追及は

許されず,②国際的に機敏に国際貢献を明示しなくちゃいけないようになった、と言うのです。


このため、

日本は、① 国際的に機敏にアピール出来るためには政府の、特に首相のリーダーシップが発揮

出来るよう、憲法にある政府と国会のバランスオブパワー規定を運用で改変する、

② 国際貢献を国是とするように国内を改める、と言うのが、教授の提言、結論です。


教授は、ここまでしか言っていません。

しかし、すぐ、人は、国際的に武力貢献を機敏に出来るよう国内を改めるという

論を引き出すかも。


隠居は、違うのです。

リーダーシップ発揮のために、規定を改変するのはいい。しかし、リーダーシップのもと、

国際貢献は日本が戦争は放棄する憲法規定を持っていることを国際認知のもとで

財政的と人的に行うと言うのが、隠居の持論ですよ。


もちろん、現在のように、日本人が内弁慶で、国際機関に出て行けない,行ったら帰国時に

は前の職場に戻れない制度だ、ではだめだね。

国際貢献大学院を相当数作り、又、法律で国際機関に出て行く時はもとの会社はその間

給料とポストを保障し続けないといけないと(二重給与)大改変する荒療治をしないと

いけないでしょうね。

城内の平和追求が許されなくなったのに、進路を考えないと、日本は、衰退するね。


では、ばーい。


つまり、

① 


見つけましたよー。

隠居は、漢字が中国からの借り物文化だということにこだわりがあって、

日本人が発展させた漢字は無いのか!? と、探していましたが、ありましたよー。


高島俊夫著「漢字と日本人」を読んでいると、こう書いてあります。


かって、日本に文字はなかった。

中国から漢字が入ってきて、まず、漢語をそのまま取り込み、日本語のなかに

混ぜて使った(音読み)。さらに、漢字がさす日本語で、その漢字を直接読むと

いう使い方もするようになった(訓読み)。


ここまでは、隠居も、がっこでならったような記憶があるなあ。

その先なんだ。


文字を借りるということは、同時に、他民族が持つ概念を押しつけられるいうことでもあります。

日本には、「雨」とか、「さむい」ということばはあったけれども、「天気」という概念は

なかったのである。

逆に、日本人の生活、感情に密着した日本語を、べんぎ、漢字で書いて、漢語にない漢語を

作っていったという歴史もあるのです。

これぞさがしていた、日本(製)漢語です。

いろいろあります。

ものさわがし→物騒

日の手当→日当

武士の家につかえる使用人→中間(ちゅうげん)

武士が使用人を斬り殺す→成敗

粋でなく洗練されていないこと→野暮

あいそのないこと→無下


さすれば、ウーン、日本の文化ということをいう場合、われわれが日本人としてどんな感情を抱き、

どんな生活をおくるかということがまず肝心なんだなあ。


隠居の気分は、ひと区切りがついたのです。


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それにしても、漢字は使わないがイイ、全文日本語で書くのがいいという、漢字制限論の

えらい方々が、漢字憎さから(?)、漢字をアルファベットの文字のようにみて(?)、それぞればらばらに

略字形をつくって、そのため、一定の形を包蔵する一群の漢字は本来共通の音を持つという

漢字文化を破壊したりしているのは、建設的な活動には思えないんだがなあ、と、

隠居はひとりごちているのです。