かつて都会で活躍した車両 | 伊勢守の鉄道博物館

伊勢守の鉄道博物館

一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。


ようやく復調してきました。ただ食欲はあまりありません。これは痩せるチャンスか?!

それはともかく・・・。
今週末も雨、どこにも行かずにいたほうが節約にはなることでしょう。


今回は都会で活躍していた車両が他社に譲渡された姿を・・・。

元東急6000系




大鰐駅

弘南電鉄に譲渡され余生を送っていたときのもの。この時は前面に赤帯が入っていました。

車体デザインは旧型車のイメージを残している点がありますが、車体の素材はステンレスです。時代の過渡期に登場した車両らしい姿といえるでしょうか。


現在では定期運用は終了し、車庫のある津軽大沢に留置されているようです。



琴電志度駅

これも関東出身の電車。元京浜急行230系。

前面が貫通化改造されていないオリジナルの前面が好きでした。一部を除いて関東の私鉄電車は前面が通り抜け出来ない非貫通の前面が特徴的で、ここが貫通前面が当たり前の関西大手私鉄との大きな違いでした。



ことでん仏生山工場

京急も都営地下鉄との相互乗り入れを1968年に開始してからは、正面デザインが貫通化され、車両のイメージが一新しました。
地下を走行する車両は火災に対処するため、より厳しい基準が適用されていました。その中の一つに前面に非常口となるような通路を設けることがありました。





伊予鉄道 郡中港駅

元京王5000系

関東では吊掛け駆動の電車からカルダン駆動車に移行する際に、従来のデザインを考慮しないでイメージアップの意味もあったのか、真新しい車両が登場していきました。
地下鉄乗り入れを計画する路線も多くなって、正面が非貫通では困ることもあった影響も有ると思います。



琴電高松築港駅

元阪神5000系

各駅停車の速度向上を目指した阪神の初期高性能車が住処を変えて、香川県で余生を送っていました。

私が阪神電車のイメージというのは、まさにこの顔です。今はずいぶんと変わってしまっているようですが。




大井川鉄道 新金谷

元小田急1900系

5000系に至るまでの『小田急顔』を確立した形式は、この形式の先代である1600系列からだったと思いますが、完成形になったのはこの系列ではないかというのが個人的な意見です。

小田急は早くから特急形を除いて貫通前面に移行したので、非貫通一般車は「ねこ」とあだ名された2200系列以外は見当たりませんでした。
私鉄各社にもその路線での『顔』がまだはっきりと残っていた時代の産物です。



弘南電鉄 弘南黒石駅

元南海の1521形と元東急7000系の譲渡車同士の並びです。
決して出会うはずのなかった両車ですが、津軽地方でこのように並んでいる姿を見ますと不思議なことが実現してることに言葉を失いました。
なんと表現していいのか例えが見つかりません。





長野電鉄 須坂駅

そして譲渡車として忘れてならないのがのこ形式でしょう。元東急5000系は長野ばかりなく、福島交通、上田交通、松本電鉄、岳南鉄道、熊本電鉄にも譲渡されています。

直角カルダン方式というあまり普及しなかった駆動装置でありながら、ここまで地方私鉄に譲渡されたのはそれだけ完成された車両だった・・・ともいえそうです。

意外と関西大手私鉄からは地方私鉄に譲渡車が多くないのは、関西大手が標準軌を採用してるから・・・と、ある方が言っておられたのですが、あながち的外れではないのかもしれません。


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