ある性的ニオイフェチのフィールドワーク物語 -5ページ目

Ficter 12  僕がこんなに切なくなってる場所って、どこ? ─えり─③

 待合せ場所に向かった。妙に緊張する。きっと、自信のなさによるものだ。
 再会。
 僕とは対照的に、えりの表情には気負いが全くなくカラッとしていた。
 ホテルに向かう道程、えりが「今日、暗いよ。」と言った。
 納得だ。こっちは切なさで硬直しっぱなしなんだから。
 来週、ニューヨークに行くという。
瞬間、かなり深めの絶望を味わった。悲しみがあるが、でもどこか楽になっている僕がいた。不可抗力という事実が、いつも通り僕を解放させたようだ。
 そして、えりからの次の話題が、僕にもう一つ、この絶望→悲しみ→解放のパターンをもたらした。但し、こっちの方は、一発ノックアウト級だった。
 えりは今、吉原のソープ嬢をしているというのだ。それが、江藤メールのプロフィールでの土日祭日不可の理由だった。ピンサロ、ヘルスに始まり、一通りの風俗を経てきたとのだという。
 「だって、その馴れの果てがソープじゃん。」と、えりは明るく言った。
 この目の前のまだ少女のような女子大生の正体は、このあいだのみづき(Ficter 3参照)よりうわ手だったのだ。
 一応、そんな経緯を持つに至った理由を聞いてみた。
 人間不信だという。でも、特にに大きなきっかけがあったわけではなくて、何不自由なく育ったと、えりは言った。
 それ以上聞く気は起きなかった。

 ホテルに入った。えりの実情を聞かされて、既にこの子と絡む必然性は、ほぼ失われていた。あるのは成り行きだけだった。
 する前に、普通に二人でシャワーを浴びた。このプロジェクトのコンセプトからすれば考えられないことだが、仕方がない。目の前にいるのは、ある意味、人一倍さっぱり清潔なソープ嬢なのだから。

 生理前で、突くと痛いと、えりが言った。外性器の片方が痛いのだという。「明日、病院に行こうと思ってる。でも、移る病気じゃないから。」
 僕は、セックスをこなした。

 事のあと、えりとの話の中で、江藤のことが出た。
江藤は、えりに(おそらく他の女の子にも)、同じ男に3回以上会ってはいけないという指示を出しているという。
 なるほどと思った。
 江藤は、女の子を最初に紹介する時にのみ、‘会員’から手数料を取っている。つまり、女の子が一人の会員と仲良くなったら、江藤が儲からなくなるというわけだ。
 現実は、理に適っている。
 肩の力が抜けた。
 ‘我々はまだ堕落が足りない’という、昔読んだ坂口安吾の言葉を思い出した。
 どうやら、僕には、まだ‘絶望’が足りないようだ。絶望の直後にやってくるあの独特の解放感。その解放感がある時にのみ、あの創造感覚(恐怖を超えて行為に踏み出せる自由感)が僕の中に、もたらされるのだから。

 ホテルでの残り時間、えりとカラオケで歌った。
 僕は最後に、ジョン・レノンの「LOVE」を歌った。
 僕は今、お金でフィクションを買っている。その装置の上で、僕のリアルなエモーションが作動している。さらに、その空間は、ドラマのようなセリフを平気で、しかも真顔で言うことを、僕に許す。皮肉なことに、そこにこそ、ルーティーンでは決して出ない正直さが現出するのだ。
 「君を見てね、この歌を思い出した。俺は、この歌の詞を信じてなかったんだけど。‘愛は、愛してほしいと望むこと’。今は、よくわかるよ。」
 もちろん、えりの心が動くことはない。
 自分の正直さを見、それを吐露している自分がいた。そこにある意味は、それだけだった。
 神は、その人に相応しいものを与えたもう。
 それを知ることのやすらぎもまた代えがたくいい。

 「ニューヨークに行ったら、ジョンが住んでたダコタ・ハウスの前で、なんか拾ってきて。石ころでも何でもいいから。」と、僕は半分真面目に言った。
 「いいよ、わかった。」
 以来、僕は、えりに連絡を入れていない。
 えりは、何か拾ってきただろうか。
 その答えを知ることなく、僕は、それを本来のフィクションの彼方に葬り去ったのだ。
 仮に、えりが拾ってきた物を僕が受け取ったとしても、それの居場所はなかった。
 それにまつわる思い出の土台は、事実、フィクションだったのだから。