マルコ3:1-6 <安息日の治癒行為> 並行マタイ12:9-14、ルカ6:6-11
マルコ3
1そしてまた会堂に入った。そしてそこに枯れてしまった手を持つ人がいた。2そして、安息日にその人を癒すのではないかと、彼を監視して、告発してやろうとする者たちがいた。3そしてその枯れた手を持った人に言う、「立って、真中へ」。4そして彼らに言う、「安息日に善をなすのと、悪をなすのと、どちらが許されているのか。生命を救うのと、殺すのと」。彼らは黙っていた。5そして怒りをもって彼らを見まわし、彼らの心の頑なさをいたんで、その人に言う、「手を伸ばせ」。そして伸ばした。そしてその手は回復した。6パリサイ派は出て行ってすぐにヘロデ派とともに彼に対して謀議をなした。いかにして彼を滅ぼそうかと。
マタイ12
9そしてそこから移って、彼らの会堂へと来た。10そして見よ、枯れた手を持った人がいた。そして彼らは彼にたずねて言った、「安息日に治療を行うことは許されているか」。彼を告発しようとしたのである。11彼は彼らに言った、「あなた方の中に一匹の羊を持っている人がいるとして、その羊が安息日に溝に落ちたら、その人は羊を手で持って引き上げてやらないだろうか。12人間の方が羊よりもどれほどすぐれていることか。だから、安息日に良いことを行なうのは許されているのである」。13その時その人に言う、「手を伸ばせ」。そして手を伸ばした。そしてその手は健康を回復して、もう一方の手と同様になった。14パリサイ派は出て行って、彼に対して謀議をなした。いかにして彼を滅ぼそうかと。
ルカ6
6ほかの安息日に彼が会堂へと入り、教えることがあった。そしてそこに右手の萎えた人がいた。7だが律法学者とパリサイ派が、安息日に治療行為をなすのではないかと彼を監視していた。見つけて、彼を告発するためである。8彼は彼らのこの議論を知って、手の萎えた人に言った、「立ちあがり、真ん中に立て」。この人は立ちあがって、立った。9イエスは彼らに対して言った、「あなた方にうかがうが、安息日に善をなすのと悪をなすのと、どちらが許されているか。生命を救うのと、滅ぼすのと」。10そして彼らみなを見まわし、その人に言った、「自分の手を伸ばせ」。その人はそうした。するとその手は回復した。11彼らの方は度を失って、イエスに対して何をやってやろうかと、互いに言いあった。
参照ルカ14:1‐6
1彼がパリサイ派のある指導者の家に入るということがあった。安息日にパンを食べるためである。そして彼らの方は彼を見張っていた。2そして見よ、彼の前に水腫の者が一人いた。3そして答えてイエスは法学者やパリサイ派に言って、言った、「安息日に癒すことは許されているか否か」。4彼らは黙っていた。そして彼をつかんで、癒し、帰してやった。5そして彼らに対して言った、「汝らのうち誰かの息子か牛が井戸に落ちた。それなら直ちに、安息日でも、引き上げてやらないだろうか」。6そして彼らはこのことに関して反論することができなかった。
マルコにおける「安息日の治療行為」伝承は、1-5節までの「論争物語」伝承と6節の結びの編集句で構成されている。
6節は、「安息日の治療行為」の結びとなっているだけでなく、これまでの五つの「論争物語」伝承全体の結びともなっている。
マルコとしては、律法学者やパリサイ派が常にイエスに敵対しており、論争を仕掛けては、イエスを滅ぼそうと画策していたという結論に導こうとしているのだろう。
「安息日の治療行為」伝承は、三者とも、前段の「安息日問題」の続きという設定である。
奇跡物語の体裁を示しているが、話の焦点は、「安息日」の律法解釈に対するイエスとパリサイ派との対立が主体となっている。
マルコ3
1そしてまた会堂に入った。そしてそこに枯れてしまった手を持つ人がいた。2そして、安息日にその人を癒すのではないかと、彼を監視して、告発してやろうとする者たちがいた。
マタイ12
9そしてそこから移って、彼らの会堂へと来た。10そして見よ、枯れた手を持った人がいた。そして彼らは彼にたずねて言った、「安息日に治療を行うことは許されているか」。彼を告発しようとしたのである。
ルカ6
6ほかの安息日に彼が会堂へと入り、教えることがあった。そしてそこに右手の萎えた人がいた。7だが律法学者とパリサイ派が、安息日に治療行為をなすのではないかと彼を監視していた。見つけて、彼を告発するためである。
前段の「安息日問題」は「麦畑」の設定であったが、「安息日の治癒行為」を、「そしてまた会堂に入った」(kai eisElthen palin eis tEn synagOgEn)という書き出しで、マルコは始めている。
「また」(palin)とあり、「会堂」(tEn synagOgen)には定冠詞が付いているから、「例の、毎度おなじみの会堂」という趣旨になる。
しかし、安息日になると、イエスが特定の会堂に出かけて行き、治療行為をしていた、とは考え難い。
各地で安息日に治療行為をしていたからこそ、パリサイ派と対立していたものと思われる。
マルコの定冠詞の用い方とpalinという副詞の用い方に違和感が残る。
マルコは13章までにpalinを18回用いているが、大部分は導入句の冒頭部に出て来る。(2:1,13、3:20、4:1、5:21他)
文字通りの意味で「再び」という意味に解すると、「また会堂に入った」と言われても、前段は「麦畑」の場面であり、「会堂」での場面ではない。
前の文との繋がりが悪く、「また」という語は意味をなさなくなる。
おそらく、前の物語の繋ぎを作るための指小辞代わりとして「また」(palin)という副詞を使っているのだろう。
定冠詞にしても、この段落では初出であるにもかかわらず、「会堂」という単語に定冠詞をつけている。
マルコの定冠詞の用い方や接続小辞の用い方には、母語であるアラム語表現の影響があるのだろうか。
あるいは、単にギリシャ語の文法の無理解か。
マルコの癖か。
一応ギリシャ語文法通りに読むと、イエスは特定の「会堂」に入ることを習慣にしていて、安息日になる度に治療行為をしていた、という趣旨になる。
だが、実際のイエスは、おそらく特定の会堂で、というのではなく、各地の会堂で、また安息日に拘泥することなく、いつでも治療行為を行なっていたものと思われる。
マタイは、「そしてそこから移って」(kai metabas ekeithen)と、マルコの奇妙な「また」(palin)を削除している。
前段の「安息日問題」が「麦畑」での場面であるから、マルコの疑問ある表現を修正してくれているのだろう。
ルカの書き出しは、「ほかの安息日に…ことがあった」(egeneto de kai en heterO sabbatO)。
マルコのkai egenetoを真似たアラム語的ギリシャ語表現であるが、ギリシャ語の代表的な小辞詞であるdeに変わっている。
ルカのegeneto deという表現は、七十人訳にも多く出て来る。
ギリシャ語人間であるルカは、アラム語の古語的格調を取り入れながら、ギリシャ語らしくなるように変えてくれたのであろう。
さらに「会堂へと入り、教える」(eiselthein auton eis tEn synagOgEn kai didaskein)と続けている。
マタイと同じくマルコの「また」(palin)を削除しているが、「会堂に入った」だけでなく、「そして教える」(kai didaskein)という句を付加している。
ルカにとってのイエスは、奇跡的治療者というよりも、ユダヤ人に対する説教師というイメージの方を強く推したいのだろう。
マルコは最初、「枯れてしまった手を持つ人」(anthrOpos exErammenEn echOn tEn cheira)と受動完了で述べている。
次節では「枯れた手を持った人」(tO anthrOpO tO tEn xEran cheira echonti echoti tEn cheira)と形容詞を使い、表現を変えている。
意味は変わらないが、二種類の言い方の伝承があったのかもしれない。
マタイは、「そして見よ」(kai idou)という旧約的間投句表現を付加し、「枯れた手を持った人」(anthrOpos En tEn cheira echOn xran)と形容詞で表現している。
ルカは「右手の萎えた人」(anthrOpos kai hE cheir autou hE dexia En xEra)と枯れた手が「右」であることを指摘している。
右手が利き手の人間の方が多く、左手より重要な手だと思われていた。
おそらく、キリスト様の奇跡性の効果を高めるために「右」(hE dexia)を付加したのだろう。
イエスを監視して、告発してやろうとする者たちに関して、マルコははっきりと主語を明示してはいない。
田川訳では「者たちがいた」と訳しているが、原文のギリシャ語では無人称的三人称複数の動詞を置いているだけ。(therapeusei auton…katEgorEsOsin autou)。
実質的には、6節の「パリサイ派」(hoi pharisaioi)を主語に想定している。
マタイにおける「イエスにたずねた」(epErOtEsan auton)は、三人称複数の動詞が使われている。
主語は前段の「安息日問題」の主語である2「パリサイ派」(hoi pharisaioi)を指している。
ルカは、はっきり「律法学者とパリサイ派を主語に据えて、「彼を監視し」」(hoi grammateis kai hoi pharisaioi paretEroun de auton)、「見つけて監視するためである」(hina heurOsin katEgorian autou)としている。
マルコでは、会堂の群衆の中にイエスを「監視して、告発しようとしてやろうとする者たちがいた」と一般論として述べているだけである。
ルカでは証拠を「見つけて、告発するため」に、「律法学者とパリサイ派」がイエスの動向を監視していたとしている。
彼らの悪意が増大している。
ルカは、マルコを写している場合でも、「パリサイ派」を単独で用いることは少ない。
「律法学者」も付加し、「律法学者とパリサイ派」をセットにして用いることが多い。
ユダヤ教にもいくつかの宗派があり、「律法学者」のすべてが統一した解釈を支持していたわけではない。
しかし、西暦70年のユダヤ戦争後を生き残ったユダヤ教の宗派はパリサイ派だけであり、その他の宗派は絶滅している。
ルカにとって、「律法学者」と言えば「パリサイ派の律法学者」以外を想定しえなかったのであろう。
WTはルカ福音書が書かれた年代をユダヤ戦争以前の56-58年ごろと想定しているが、おそらく、ユダヤ戦争後の70年以降に書かれたものと推定される。
イエスとパリサイ派との間で、論争が始まる。
マルコ3
3そしてその枯れた手を持った人に言う、「立って、真中へ」。4そして彼らに言う、「安息日に善をなすのと、悪をなすのと、どちらが許されているのか。生命を救うのと、殺すのと」。彼らは黙っていた。5そして怒りをもって彼らを見まわし、彼らの心の頑なさをいたんで、その人に言う、「手を伸ばせ」。そして伸ばした。そしてその手は回復した。
マタイ12
10…そして彼らは彼にたずねて言った、「安息日に治療を行うことは許されているか」。彼を告発しようとしたのである。11彼は彼らに言った、「あなた方の中に一匹の羊を持っている人がいるとして、その羊が安息日に溝に落ちたら、その人は羊を手で持って引き上げてやらないだろうか。12人間の方が羊よりもどれほどすぐれていることか。だから、安息日に良いことを行なうのは許されているのである」。13その時その人に言う、「手を伸ばせ」。そして手を伸ばした。そしてその手は健康を回復して、もう一方の手と同様になった。
ルカ6
8彼は彼らのこの議論を知って、手の萎えた人に言った、「立ちあがり、真ん中に立て」。この人は立ちあがって、立った。9イエスは彼らに対して言った、「あなた方にうかがうが、安息日に善をなすのと悪をなすのと、どちらが許されているか。生命を救うのと、滅ぼすのと」。10そして彼らみなを見まわし、その人に言った、「自分の手を伸ばせ」。その人はそうした。するとその手は回復した。
マルコでは、イエスがパリサイ派に尋ねる。
「枯れた手を持った人」に「立って、真ん中へ」と誘導し、パリサイ派に「安息日に善をなすのと、悪をなすのと、どちらが許されているのか。生命を救うのと、殺すのと」と問う。
パリサイ派は答えず、黙っている。
イエスとパリサイ派との論争という体裁を取ってはいるが、パリサイ派に関する具体的な発言は、一切ない。
イエスがパリサイ派に対して修辞的な質問をするだけで、パリサイ派は何も答えず、その行動原理がイエスの怒りを引き起こし、敵対者であることが示されている。
マタイでは、マルコとは逆で、パリサイ派の方から、イエスに尋ねる。
「安息日に治療を行なうことは許されているか」(ei exestin tois asabbasin therapeuein)とイエスに質問する。
このイエスの質問は、参ルカ14:1-6「水腫の者の癒し」伝承におけるイエスのロギア3「安息日に癒すことは許されているのか否か」(ei exestin tO sabbatO therapeuein )と一致している。
マタイの導入句10「彼を告発しようとした」(hina katEgorEsOsin autou)という表現は、マルコの2「彼を…告発してやろうとする者たちがいた」(hina katEgrEsOsin autou)と一致している。
マタイでは、イエスが、パリサイ派に対してマルコにはない言葉を付加して、説教を始める。
11「羊が安息日に溝に落ちたら、羊を救わないだろうか」という論議は、いかにもラビ的律法解釈の説教である。
参ルカ14:1-6「水腫の者の癒し」におけるイエスのロギア「息子か牛が井戸に落ちたら、安息日でも引き上げてやらないだろうか」とする論理と共通する。
12節は、マタイが自分の解釈を段落の途中に組み込んだもの。
マタイは、マルコを元に、参ルカと共通のQ資料を結合させ、独自の解釈を付加し、一つの「安息日の治癒行為」物語に仕立て直したものであると思われる。
実際のイエスは、マルコにあるように、彼らの根本的姿勢に憤り、「命を救うのと殺すのとどっちが許されると思っているのだ」とパリサイ派に突き付けたものと思われる。
後述するが、出エジプト記に関する註解で、家畜の生命に危険がある場合には、安息日といえどもこれを救ってもよいとする律法解釈はラビたちにより支持されていたようである。
マタイはイエスを優れたラビ的説教者として位置づけたいのであろう。
マルコでは「どちらが許されているのか。生命を救うのと、殺すのと」とパリサイ派に詰め寄るのであるが、ルカは「生命を救うのと、滅ぼすのと」と言い換えている。
意味は変わらないが、マルコの「殺す」(apokteinai)を、ルカは「滅ぼす」(apolesai)という表現に和らげている。
「手萎え」の症状は、緊急的な処置が必要な生命にかかわる重大な疾病ではないから、必ずしも安息日に癒さなくても「殺す」ことにはならない。
パリサイ派の批判をかわすためであれば、安息日以外の日に癒せばよい。
それを敢えて「安息日」に癒すことによって、パリサイ派の教条主義的偽善さに対する怒りと批判を突き付けようとしているのであろう。
安息日に人を癒すかどうかを監視して告発しようとするパリサイ派の姿勢は、「人の生命を殺す」の同じ直接行為だと訴えたいのであろう。
それを「滅ぼす」という婉曲表現にしてしまうと、「殺す」という自分がかかわる直接的な行為ではなく、「死を招く」かもしれないが、直接の原因とはならない間接的な行為となる。
マルコにあるイエスがパリサイ派に抱く強い憤りも削られてしまい、単なる善悪を説く道徳的宗教信仰説教へと変えられてゆく。
マルコでは「怒りをもって」彼らを見まわし、彼らの心の頑なさをいたんで、手なえの人に「手を伸ばせ」と言い、癒す。
マタイでは、マルコのイエスの持つパリサイ派に対する「怒り」は消されており、手なえの人に「手を伸ばせ」と言うだけで、癒しは進行してゆく。
ルカでも、マルコのイエスの持つ「怒り」は消されており、「彼ら皆を見まわし」、彼らの悪意ある「議論」をルカのイエスはキリストの神的能力によって事前に「知って」、「自分の手を伸ばせ」と言うだけで、癒しは進行してゆく。
ルカではイエスの超人的キリスト信仰がマタイより深まっている。
マルコでは、「生命を救うことと殺すこと」が「善をなすことと悪をなすこと」との対比されている。
つまり、「生命を救うこと」=「善をなすこと」であり、「生命を救わないこと」=「殺すこと」=「悪をなすこと」という二律背反の対立構造になっている。
そこには、安息日であろうとなかろうと、「生命を救おうとしない」ことは、その人を「殺すこと」に等しい。
「生命を救える」立場にありながら、何もせずに手を差し伸べず「見殺しにする」ことは「殺人」に等しい、というイエスの思想がある。
それゆえ「救わないこと」は、「殺す」ことであり、絶対なる「悪をなすこと」であると主張するのである。
それに対し、ルカが採用した別伝承(参ルカ14:1-6)のイエスは、マタイと同じく、「自分の息子や牛が井戸に落ちたら、安息日であっても助けてよい」という主張である。
安息日における律法規定に違反しないのであるから、安息日に人や家畜を救うことは、律法規定違反にはならない、というのがイエスの反論となっている。
ただし、旧約律法の中に、直接安息日に牛や羊が溝に落ちた場合に助けても良いとする条項は存在しない。
出エジプト20:8-10に「六日の間仕事をし、七日目の安息日に仕事をしてはならない」という規定があるだけである。
「仕事」に関するカテゴリーと解釈が問題となる。
家畜が溝に落ちた場合に関しては、出エジプト21:33-34で「抗の所有者に賠償責任がある」と規定されているだけである。
「安息日」に関する条項とは無関係である。
しかしながら、当時のパリサイ派においても、「生命を救う」事の方が「安息日の律法」に優先する、と解釈されていたようである。
出エジプト記に関するラビの註解である「メキルタ」31:13に「人間の生命を救うことは安息日を押しやる」という句が見られるそうである。
「押しやる」(anaitios)というのは、前段の「安息日問題」の並行マタイ12:5で「無効にする」(anaitoi)と訳されている語と同じ。
「法の規定そのものを無効にする」という趣旨。
「人間の生命を救うことは安息日の規定そのものを押しやる」ことができる行為なのであるから、「安息日に生命を救う治療行為をなしても、安息日規定に違反しない」というものである。
つまり、ルカの別伝承(参ルカ14:1-6)におけるイエスは、マタイと同じくあくまでも「安息日規定」の存在を前提にした上で、その解釈を拡大したものである。
マルコでは、「安息日」であろうとなかろうと、「善をなす」ことを禁じる律法は存在しない。
むしろ「安息日」に「生命を救う」ことを禁じるのであれば、「安息日の律法」そのものが無効である、とする論理である。
ルカには、「安息日律法」そのものを否定するマルコにおけるイエスの思想は存在しない。
マルコにおける安息日の「善行」vs「悪行」は生命を「救う」vs「殺す」と同義に解する論理である。
マタイはマルコの二律背反の対立構造を、「善行」=「救う」or notという量刑で量る単一のベクトル構造に単純化している。
マタイはマルコにおける「生命を救わないこと」=「殺すこと」=「悪をなすこと」というイエスの思想を排除し、「人間の方が羊よりもすぐれている」と文を付け加えている。
その結果、「安息日に羊を救う」という「良いこと」を行なうは許されているのだから、「人間を救う」という「より良いこと」を行なうことは、なおさら許されている、という論理になる。
そこには、人間は羊よりすぐれているのだから、人間を救うことは羊を助けることよりもはるかにすぐれて良いことを行なうことだ」というイエスの思想が描かれている。
安息日であろうがなかろうが、人間が善をなすことが重要であり、安息日規定に縛られるべきではない。
むしろ、善を行なわないことは悪をなすのと同じであり、命に関係する場合には殺す事と同じである、とするマルコにおけるイエスの思想がマタイでは消えてしまっている。
そこに存在するのは、ルカ別伝承物語と同じように律法の「安息日」に関する「律法の遵守」を前提とした解釈であり、「安息日に関する規定の解釈」を拡大するイエスの姿である。
マタイを重視するキリスト教の姿勢が、「安息日には、より良いことを行なうべきである」という刷り込みを生じさせるのであろう。
そして、律法主義を超えた、慈悲深い特質を磨くことが、イエスのような信仰に倣うことであり、キリスト信者の本分であるというキリスト教信仰を形成させるのであろう。
マタイもルカもマルコのイエスが持つ鋭い憤りを少しづつ骨抜きにしてゆき、平和的なラビ的宗教説教師の姿に変質させてゆく。
回復した後の描写も三者で微妙に異なっている。
マルコ3
5そして怒りをもって彼らを見まわし、彼らの心の頑なさをいたんで、その人に言う、「手を伸ばせ」。そして伸ばした。そしてその手は回復した。6パリサイ派は出て行ってすぐにヘロデ派とともに彼に対して謀議をなした。いかにして彼を滅ぼそうかと。
マタイ12
13その時その人に言う、「手を伸ばせ」。そして手を伸ばした。そしてその手は健康を回復して、もう一方の手と同様になった。14パリサイ派は出て行って、彼に対して謀議をなした。いかにして彼を滅ぼそうかと。
ルカ6
10そして彼らみなを見まわし、その人に言った、「自分の手を伸ばせ」。その人はそうした。するとその手は回復した。11彼らの方は度を失って、イエスに対して何をやってやろうかと、互いに言いあった。
マルコでは、安息日を盾に彼を救おうとしないパリサイ派と彼を救おうとするイエスとの対比が描かれている。
パリサイ派に対する怒りと心の頑なさをいたんで、手なえの人に「手を伸ばせ」(ekteinon tEn cheria sou)と、「その人に言う」(legei tO anthrOpO)。
手なえの人に向かって、「あなたの手を伸ばせ」と言ったのだから、イエスは自分に向かって伸ばされた手を、実際に握ったと想像される。
マタイもマルコを写しており、同様の記述であるが、マルコのニュアンスとは微妙に異なる。
「安息日に良いことを行なうのは許されている」と宣言し、マルコと同じく「あなたの手を伸ばせ」(ekteinon tEn cheira sou)と言う。
手なえの人はイエスの言葉に従い、「手を伸ばす」。
マルコと同様「伸ばされた手に触れた」とは書かれていないが、マルコとは異なり、マタイのイエスが伸ばされた手に触れたとは考え難い。
手なえの人が、イエスの言葉に従い、そのとおりに行動した時、奇跡的な回復が生じた、と読める。
マルコとマタイのこの違いは、マタイがマルコの「怒り」を消し、「その時その人に言う」(tote legei tO anthrOpO)とマルコにはない「その時」(tote)という副詞を文頭においていることによる。
パリサイ派に向かって、律法に関する正しい解釈を説教し、「その時」、手なえの人に「手を伸ばせ」と言い、彼はその言葉に従い、「手を伸ばした」というのである。
「そして回復した」(kai apokatestathE)と続いているので、「手を伸ばす」と同時に回復が生じた、と読める。
イエスが手なえの人の手に触れて、回復させた、とは読み難いように思う。
マルコでは単に「その手は回復した」と記述されているだけであるが、マタイでは、「もう一方の手と同様になった」と付加している。
より奇跡のリアリティと臨場感を表現したかったのだろう。
ルカでは、単に「回復する」だけでは満足できなかったのか、その奇跡に、パリサイ派たちが「度を失った」と付け加えられている。
イエスがキリストである以上、敵対し、告発しようとする者たちさえをも圧倒するほどのキリストパワーを発揮させなければならないのであろう。
パリサイ派とイエスとの対立構造がマルコ・マタイ以上により極端に劇画化されており、キリスト信仰もマタイ以上に盛られて、描かれている。
マルコには、イエスに敵対する勢力として「パリサイ派」と共に「ヘロデ派」hErOdianon)が加わっている。
マタイは、マルコの文から「ヘロデ派」を削り、そのまま写している。
ルカも「ヘロデ派」に関する句を削除している。
NWTは「ヘロデの党派的追随者たち」、RNWTは「ヘロデ党の人たち」と訳出している。
ただし、英訳はNWTもRNWTもthe party followers of Herodのままである。
この「ヘロデ派」(hErOdianon)という語は、マルコ12:13(並行マタイ22:16)とマルコ8:15の異読(P45、W、Θ、f1,13他)に登場するだけで、古代のほかのいかなる文献にも登場しない。
似たような表現として、ヨセフスの「ユダヤ古代史」14:450に「ヘロデのことを考える者たち」と出て来るが、意味がはっきりしない。
前後関係からして、何らかの意味でヘロデ家とのかかわりがある者たちを指すのは確かなようである。
しかしながら、ヘロデ家は共和制ローマ帝国の元老院とは無縁の政務官の立場であり、ローマから独立したユダヤ人に対する統治権を持っていたわけでもない。
ユダヤ人民族運動から派生した熱心党との関係も不明である。
ヘロデ家の再興を希求していた集団かもしれないが、どのヘロデ家が母胎なのかもはっきりしていない。
現代の政党や会派のような議員団体や政治的集団とは異なるイメージの集団であるように思われる。
WTは、ヘロデ王朝を支持する政治的集団と解している。
それ以外の見解には「強硬な反対意見が出ている」としているが、その主張に根拠はなく、著しく主観的で一方的である。
*** 洞‐2 800–801ページ ヘロデの党派的追随者(Herod, Party Followers of) ***
この人々は,ローマから権威を受けたヘロデ王朝のユダヤ人の支持者または党派的追随者だったようです。イエス・キリストが地上で宣教を行なっていた間は,ヘロデ・アンテパスがこの王朝を指揮していました。
ヘロデ党の者は世俗の歴史には全く出て来ません。また,聖書の中でも彼らについてはわずかしか言及されていません。(マタ 22:16; マル 3:6; 12:13)しかし,ヘロデ党の者がヘロデの家の召し使いであるとか,ヘロデの兵士であるとか,あるいはその廷臣であるといった一部の見方に対しては強硬な反対意見が出ています。
政治的にはヘロデ党の者は中道を取っており,一方ではローマの支配から完全に独立したユダヤ王国を唱道するパリサイ人やユダヤ人の熱心党員の反対を受け,もう一方ではローマ帝国によるユダヤの完全吸収を唱道する人々の反対を受けていました。ユダヤ教の中では自由思想派また穏健派とみなされたサドカイ人の一部の人々は,ヘロデ党の学派に属していたものと思われます。この結論は,パン種に関するイエスの言葉を伝えたマタイやマルコの記録から引き出せます。マタイ 16章6節によれば,イエスは「パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」と言われましたが,マルコ 8章15節では「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気を付けなさい」と言っておられます。「パン種」という言葉を繰り返していることは,この二つの党の腐敗した教えに違いがあったことをはっきり示していました。幾つかの写本,すなわちチェスター・ビーティー・パピルス1号(P45),「ワシントニアヌス第1写本」,「コリデティアヌス写本」では,この後者の聖句が「ヘロデ」ではなく「ヘロデ党の者たち」となっています。―「注釈者の聖書辞典」,G・A・バトリク編,1962年,第2巻,594ページ; 「我々の聖書と古代写本」,フレデリック・ケニヨン卿著,1958年,215,216ページ。
はっきりした点が一つあります。それは,ヘロデの党派的追随者とパリサイ人が政治やユダヤ教に関する見解の点では互いに公然と対立していたものの,イエスに対する激しい反対に関してはしっかり一致していたという点です。少なくとも2度,この対立し合う二つの党は自分たちの共通の敵を除き去る最善の方法について協議しました。記録に残る最初の例は,西暦31年の過ぎ越しの直後,つまりイエスがガリラヤで大々的な宣教を行なっておられた時のことです。片手のすっかりなえた人をイエスが安息日にいやすのを見ると,「パリサイ人たちは出て行き,すぐにヘロデの党派的追随者たちと協議を始め(まし)た。イエスに敵し,これを滅ぼ(す)」ことが目的でした。―マル 3:1‐6; マタ 12:9‐14。
記録に残る2番目の例は,2年ほど後のことでした。イエスが殺されるわずか3日前,パリサイ人の弟子たちとヘロデの党派的追随者たちは協力し,税の問題でイエスを試しました。この人々はひそかに雇われて,「義人のようなふりを(す)る」ことになりました。「そのことばじりを捕らえて,彼を政府に,そして総督の権限のもとに引き渡(す)」ことが目的でした。(ルカ 20:20)彼らは税に関する直接的な質問をする前に,まずへつらいの言葉を述べてイエスを油断させようとしました。しかしイエスは彼らのこうかつな邪悪さを悟り,「なぜあなた方はわたしを試すのですか,偽善者たちよ」と言明されました。それから,税の支払いに関するご自分の答えを述べて彼らの口を完全に封じられました。―マタ 22:15‐22; ルカ 20:21‐26。
しかしながら、実際の歴史的な資料からすれば、「ヘロデ派」(hErOdianon)という語を、WTが「ヘロデ党の者たち」あるいは「ヘロデの党派的追随者たち」(Herod,Party Followers of)と訳すような、ヘロデ家を政治的に支える支持者集団、というものでもないようである。
ヘロデ家自体が内部分裂状態にあり、その可能性もなくはないが、実体はよくわからない。
それでも、マルコでは、「ヘロデ派」と出て来る時には必ず「パリサイ派」と一緒に登場するということは興味深いことである。
マルコは、パリサイ派とヘロデ派に対して、イエスを敵視する点では、同種の傾向を持つ集団と位置付けていたのであろう。
マタイは、この個所ではマルコの「ヘロデ派」を削っている。
しかし、マルコ8:15の並行であるマタイ16:6では、マルコの「ヘロデ派」を「サドカイ派」と書き換えている。
それなのに、マルコ12:13の並行であるマタイ22:16では、マルコの「ヘロデ派」をそのまま写している。
マタイは、マルコの「ヘロデ派」という表現が何を意味しているのか違和感を持ちながら、写したり、削ったり、書き換えたりしているように思えるのである。
共観福音書における各著者の構成の違いを念頭に、総合的に考えると、イエスは安息日においても構わず治癒行為を行なっていた。
それに対して、安息日に労働をしてはならない、という律法規定に抵触するのではないか、という論議がイエスvsパリサイ派という構図で度々くり返されていた、ということが想像できる。
またイエスも、律法規定違反ではなく、律法規定の精神にも違反するものではない、という主張であるが、その都度都度では、安息日律法そのものの否定も含めて、いろいろ異なる形で反論していたものと思われる。
おそらく、「手萎えの者」や「水腫の者」だけでなく、「安息日の治癒行為」に関する同様の伝承がいくつも語られていたのだろう。