マルコ3:7-12 <まとめの句> 並行マタイ12:15-16、4:23-25 、ルカ6:17-19、参ルカ4:41
マルコ3
7そしてイエスは弟子たちとともに海辺へと退いた。そして非常に多くの者がガリラヤから従って来た。またユダヤから、8エルサレムから、イドゥマヤから、ヨルダン対岸から、テュロスとシドンのあたりから、非常に多くの者が彼のなしていることを聞いて、彼のもとにやって来た。9そして、群衆が自分に押しせまるので小舟を用意しておくように、と弟子たちに言った。10多くの者を癒したので、疾患をかかえた者がみな彼にさわろうと殺到してきたのである。11そして悪霊どもは彼を見ると、彼の前にひれふし、叫んで言った、「あなたは神の子だ」。12そして、彼のことを明らかにしないようにと、悪霊どもを大いに叱りつけた。
マタイ12
15イエスはそれと知って、そこから退いた。そして多くの者が彼に従って行った。そして彼はその人たちをみな癒した。16そして、彼のことを明らかにしないようにと、彼らを叱った。
マタイ4
23そして彼はガリラヤ全土を巡回して、彼らの会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中にあるあらゆる病気、あらゆる疾患を癒した。24そして彼についての噂がシリア全土に広まった。そして彼のもとに、さまざまな病気や苦痛を患っている者たち、悪霊に憑かれた者たち、月化された者たち、麻痺した者たちなど、あらゆる病人が連れて来られた。そして彼はその病人たちを癒した。25そして多くの群集がガリラヤから、デカポリスから、エルサレムから、ユダヤから、またヨルダンの対岸から(来て)、彼に従った。
ルカ6
17そして彼らとともに下って来て、平地に立った。そしてユダヤ全土とエルサレムから、また海岸地方のテュロス、シドンから来た弟子たちの大きな群と大勢の民もいた。18彼らはイエスの話を聞くために、また病を癒してもらうために来たのである。また汚れた霊によって群衆化されている者たちも癒された。19そして群衆はみな彼にさわろうとした。力が彼から出て来て、みなを癒したからである。
参マルコ1
23そしてすぐに、彼らの会堂に汚れた霊に憑かれた人がいて、叫んで、24言った、「俺たちとあんたの間にどういう関係がある、ナザレ人のイエスさんよ。俺たちを滅ぼすためにお出になったってわけか。あんたが誰だか、知ってるぞ。神の聖者だろ」。25そしてイエスは彼を叱りつけ、言った、「黙れ、この人から出ていけ」。26そして汚れた霊は彼をひき裂き、大声をあげて、彼から出て行った。
参ルカ4
41また悪霊も多くの人々から出て行き、叫び声をあげて、「あんたは神の子だ」と言った。そこで彼は悪霊どもを叱りつけ、ものを言うことを許さなかった。悪霊どもは彼がキリストであると知っていたからである。
「まとめの句」は、伝承の記録を編集したものではなく、福音書著者自身の手による編集句である。
要するに、マルコの作文である。それゆえ、マルコの意図がより鮮明に反映されることになる。
マルコの「まとめの句」は大きく二つの部分から構成されている。
イエスに関する群衆人気を描いている7-10までの前半部分と11-12節の悪霊どもを叱りつける後半部分である。
後半部分には悪霊がイエスを「神の子」と呼び、そのことに対するマルコの註解が加えられているが、イエスのロギアは登場しない。
マタイとルカは、マルコの「まとめの句」を、それぞれ別々の個所に組み込んでいる。
マルコの前半部分は、イエスの群衆人気を描いている。
マルコ3
7そしてイエスは弟子たちとともに海辺へと退いた。そして非常に多くの者がガリラヤから従って来た。またユダヤから、8エルサレムから、イドゥマヤから、ヨルダン対岸から、テュロスとシドンのあたりから、非常に多くの者が彼のなしていることを聞いて、彼のもとにやって来た。9そして、群衆が自分に押しせまるので小舟を用意しておくように、と弟子たちに言った。10多くの者を癒したので、疾患をかかえた者がみな彼にさわろうと殺到してきたのである。11そして悪霊どもは彼を見ると、彼の前にひれふし、叫んで言った、「あなたは神の子だ」。12そして、彼のことを明らかにしないようにと、悪霊どもを大いに叱りつけた。
マタイ12
15イエスはそれと知って、そこから退いた。そして多くの者が彼に従って行った。そして彼はその人たちをみな癒した。16そして、彼のことを明らかにしないようにと、彼らを叱った。
ルカ6
17そして彼らとともに下って来て、平地に立った。そしてユダヤ全土とエルサレムから、また海岸地方のテュロス、シドンから来た弟子たちの大きな群と大勢の民もいた。18彼らはイエスの話を聞くために、また病を癒してもらうために来たのである。また汚れた霊によって群衆化されている者たちも癒された。19そして群衆はみな彼にさわろうとした。力が彼から出て来て、みなを癒したからである。
「海辺」とはガリラヤ湖畔のことであるが、マルコにとっては親しみのある場所。
激しい敵対的な論争(2:1-3:6)を終えた後に休息する憩いの場所であり、民衆に対して教えをなす場所でもある。
マルコは、「弟子たち」(tOn mathEtOn)に関しては、イエスと共に「退いた」(anechOrEsen)という表現で文を始めている。
それに対し、「従がってきた」(EcolouthEsan)という動詞には、「非常に多くの者」(polu plEthos)という主語を置いている。
しかもその「非常に多くの者」とは「ガリラヤから」(apo tEs galilaias)つまり「ガリラヤ出身」の者たちであったことを示唆している。
マルコでは、「弟子たち」と「非常に多くの者」が対比されており、「弟子たちはイエスと共に退き」、「非常に多くの者たちはイエスに従がってきた」という構図に描かれている。
「イエスの弟子たち」と「パリサイ派」間における論争物語の後に置かれているので、「弟子たち」とは、おそらくエルサレムでイエスをキリストとしてキリスト教を興した「十二使徒」を念頭に置いているのだろう。
一方、イエスに「従がってきた」とされている「非常に多くの者」とは「ガリラヤから」の者たちである。
「退く」(anachOreO)という動詞は、ana(=each)+chOreO(=accept)で、字義的にはgive place,go(turn) aside,stepping asideという趣旨になる。
前段の「イエスを滅ぼそうとする謀議が企てられた」という文に続いているので、「退く」とはその場所から離れた、という趣旨に読むことになる。
だが、イエスのために「積極的に行動を支持するために移動した」というよりも、「本来の意図とは異なる場所に去った」という含みがある。
一方「従がう」(akoloutheO)という動詞は、a(=alpha)+keleuthos(=road,way)で、「同じ道、もしくは最初の道を共に進む」という意味を含んでいる。
この「弟子たち」と「多く者」との対比を通して、マルコは何を言いたかったのか。
おそらく、エルサレムの「使徒」さんたちは、我らこそがイエスに忠実に従っている「弟子たち」であると主張なさるが、実際にはイエスを「退けている」存在である。
ガリラヤの「非常に多くの者」たちの方が、実際にはイエスの道を最初から一緒に進んでいるのであり、イエスに「従がっている」者たちである、と言いたいのであろうか。
NWTとRNWは英訳も和訳も、原文では7節の最後に出て来る「ユダヤから」という語を「非常に多くの者」にかけ、「従って来た」という動詞の主語にかかる句として扱っている。
イエスの弟子たちには、「ガリラヤ」の者たちも「ユダヤ」の者たちもいた、という意味に読ませたいのであろう。
原文は、kai「イエスは」「退いた」「彼の弟子たちと共に」「海辺に」kai「従ってきた」(EkolouthEsan)「非常に多く者」「ガリラヤから」、kai 「ユダヤから」、kai 「エルサレムから」、kai 「イドゥマヤから」、kai 「ヨルダンの対岸から」、kai 「テュロスとシドンのあたりから」「彼のしたことを聞いた大勢の人々が」「やって来た」(Elthon)「彼のもとに」という語順で構成されている。
NWT(RNWT)は、原文の最初のkai を「しかし」(一方)と訳し、二番目に出て来るkaiを「そして」ではなく、「すると」(RNWTは訳出せず)と訳している。
並列の同意接続詞に過ぎないkaiを前文の趣旨を受ける従意接続詞でもあるかのように、「すると」と訳すと、前文との間に、時間の経過が生じる。
その結果、前文と並列に並べている原文の趣旨が読み取り難くなる。
イエスと弟子たちがガリラヤ湖畔に退いたところに、ガリラヤとユダヤからの者たちが弟子たちと一緒に従がってきた、という趣旨に読むことになる。
NWT(RNWT)は、kai 「ユダヤから」のkaiを「ガリラヤから」の地名と同格に扱い、「および」と訳し、「ガリラヤおよびユダヤから」(「ガリラヤとユダヤから」)と訳し、「従ってきた」という動詞の主語にかけて訳している。
本来は「ガリラヤから」に続く、「ユダヤから」以下、地名が挙げられている6つの地名がかかるのは「大勢の人々」という主語に対してであり、「やって来た」(Elthon)という動詞の主語にかかると解すべきものであろう。
マルコの用法からしても、「従った」(EkolouthEsan)という動詞にかかる主語は「ガリラヤからの非常に多くの者」だけであろう。
NWT(RNWT)は、「ガリラヤおよびユダヤから」(「ガリラヤとユダから」)と「ユダヤから」も「従った」(EkolouthEsan)という動詞にかかる主語にかかる句であるかのように、訳している。
そして、「ユダヤ」を除いた残りの5つの地名を、「やって来た」(Elthon)という動詞にかかる主語として訳したのである。
「ユダヤから」という句を最初の「非常に多くの者」という主語にかけ、「従った」という動詞にかけたいという意図をもって、7つの地名を「ガリラヤとユダヤ」と「その他5つの地名」とに二分させたのである。
「エルサレム」は「ユダヤ」の代表的な都市であり、ユダヤ人における政治的また宗教的中心地である。
十二使徒が興したキリスト教の中心地でもある。
ユダヤからの人々が、単に「そのもとにやって来た」だけの物見遊山の人間だけではなく、「イエスの後に従った」大勢の人々でなければならなかったのであろう。
マルコに書かれていることをそのまま読むのではなく、ルカが描くような「イエスとともにいる十二使徒」、「弟子の大群衆」、「地方から来た弟子ではない大勢の人々」という構図に合わせようとした結果なのであろう。
この個所でもそうであるが、マルコでは「従う」(akoloutheO)という動詞は、ガリラヤ出身の者たちにしか使っていない。
マルコにおいて、エルサレムを含めユダヤ出身の者たちに対して、「従う」(akoloutheO)という動詞を使っている箇所は一つもない。
「従って来た」を削除している写本(D)や単語の位置をいろいろ変えて、ガリラヤ以外の地方の人たちも「従って来た」と読ませる異読の写本(W、小文字写本の一部)もあるが、本文批判の原則からして、明らかに後代における修正である。
つまり、マルコは、「イエスに従って来た」弟子たちの中に、「ユダヤから」の者たちを含める意識がないのである。
それにもかかわらず、イエスに「「従った」弟子たちは、「ガリラヤ」と「ユダヤ」の二つの出身の人々で構成されていた、と読ませようとするのは、マルコにマタイやルカを読み込み、エルサレムの使徒重視の伝統的キリスト教ドグマに従ってマルコを解釈しようとするものである。
和訳聖書の中で、NWT(RNWT)のように、「ガリラヤとユダヤからの非常に多くの者が…」と訳している聖書は個人訳を含めて存在しない。
Living Bibleはガリラヤ以外の各地の多くの者たちも従がってきたかのように訳しているが、そ以外の和訳聖書はすべて、「ガリラヤから」だけが「従った」という動詞の主語にかかる句として扱い、「ユダヤから」以降六つの地名は「彼のもとにやって来た」という述語の主語にかかる句として訳している。
どちらもイエスに従がっているのだから、大差ないと考える方もおられるかもしれない。
しかしながら、それだと、マルコが、対象により「退く」(anachOreO)という動詞と「従がう」(akoloutheO)という動詞と「やってくる」(Elthon)という動詞を使い分けていることの意図は伝わらない。
マルコにとっては、「ガリラヤからの群衆」だけがイエスに従がっている「イエスの弟子」であるという認識だったのであろう。
マタイは、マルコの編集句を利用しつつ、独自の「まとめの句」を作成している。
マタイ4
23そして彼はガリラヤ全土を巡回して、彼らの会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中にあるあらゆる病気、あらゆる疾患を癒した。24そして彼についての噂がシリア全土に広まった。そして彼のもとに、さまざまな病気や苦痛を患っている者たち、悪霊に憑かれた者たち、月化された者たち、麻痺した者たちなど、あらゆる病人が連れて来られた。そして彼はその病人たちを癒した。25そして多くの群集がガリラヤから、デカポリスから、エルサレムから、ユダヤから、またヨルダンの対岸から(来て)、彼に従った。
参マルコ1
39そして彼らの会堂へと、ガリラヤ全土へと、行って宣べ伝え、また悪霊を追い出した。
マルコ3
7そしてイエスは弟子たちとともに海辺へと退いた。そして非常に多くの者がガリラヤから従って来た。またユダヤから、8エルサレムから、イドゥマヤから、ヨルダン対岸から、テュロスとシドンのあたりから、非常に多くの者が彼のなしていることを聞いて、彼のもとにやって来た。
マタイはマルコ1:35-39「近隣の町村での活動」や3:7-12「まとめの句」の編集句を前後関係から切り離し、合成しつつ、マタイ独自の「まとめの句」を作っている。
マルコ3:7-10の「まとめの句」の一部をマタイは、「ペテロたちの召命」(4:18-22)の後に「まとめの句」(4:23-25)として置いている。
ただし、マルコの「近隣の町村での活動」(1:35-39)から、1:39の結びの句に、3:7-8に出て来る地名から「イドゥマヤ、テュロスとシドン」を削除し、代わりに「デカポリスとエルサレム」を付加しつつ、合成している。
マタイのエルサレム重視、使徒重視の姿勢が見て取れる。
マタイの「安息日の治療行為」(12:9-14)の次段には「預言者の言葉の成就」(12:15-21)を組み込み、マルコ3:7-12の「まとめの句」を部分的に繋ぎ合わせ、導入句として利用している。
マタイ12
15イエスはそれと知って、そこから退いた。そして多くの者が彼に従って行った。そして彼はその人たちをみな癒した。16そして、彼のことを明らかにしないようにと、彼らを叱った。17これは預言者イザヤを通して言われたことが成就するためである。18「見よ、わが選びしわが僕、わが心の喜ぶわが愛する者。この者の上にわが霊を授けよう。この者が諸民族に裁きを告げる。19この者は争わず、叫ばず、その声を大通りで聞く者もいない。20痛められた葦を折ることなく、くすぶる燈心を吹き消すこともない。裁きを勝利せしめるまでは。21そして諸民族はその名に希望をいだくであろう」。
マタイ12:15-16の原文は、ho de iEsous gnous anechOrEsen ekeithen kai EkolouthEsan autO ochloi polloi kai etherapeusen autos pantas
kai epetimEsen autois hina mE phaneron auton poiEsOsin
使っている単語は、ほぼ完全にマルコと一致している。
違いは、マルコのplEthosをマタイがocholoiに変えていることぐらい。
まず、マルコ3:7「イエスは退いた」(ho iEsous anechOrEsen)と「ガリラヤから多くの者が彼に従がって行った」(polu plEthos apo tEs galilaias EkolouthEsan)の「ガリラヤから」(apo tEs galilaias)を削り、「多くの者が彼に従がって行った」(EkolouthEsan auto ochloi polloi)という文にしてつなげた。
次にマルコの地名に関する細かい描写を省き、3:10「多くの者を癒した」(pollous etherapeusen)だけを採用し、3:12「彼のことを明らかにしないようにと彼らを叱った」(epetima autois hina mE auton phaneron poiEsOsin)につなげている。
そしてイエスの活動を旧約預言イザヤの成就とする定型引用を12:17-21に付加している。
その結果、マルコでは、話の焦点が大勢の人々を相手にするイエスの治療活動であったのに、マタイでは、イエスが旧約預言の成就であること、しかも、諸民族がその名に希望を置くべき隠れた存在であることが焦点となってしまっている。
マタイはマルコの描く使徒たちに冷たく、群衆に寄り添うイエスがお気に召さなかったのだろう。群衆に関するマルコの詳しい描写を削除している。
マタイでは、イエスに「従って行った」(EkolouthEsan)とする「多くの者」(ochloi polloi)たちの出身地を区別していない。
マタイに従い、素直に読めば、イエスが「退いた」(anechOrEsen)「そこから」(ekeithen)とは前段の「彼らの会堂」(人々の会堂:NWT)を指しているが、どこの地域の会堂であるかは不明である。
その結果、マルコが使い分けている「従って来た」(akoloutheO)という動詞と「やって来た」(Elthon)という動詞の意味の違いはなくなり、単に多くの地方から多くの人々がイエスに「従って行った」という趣旨に読み取ることになる。
さらにマタイは、マルコ3:10「多くの者を癒した」と3:12「彼のことを明らかにしないようにと彼らを叱った」とを繋げて一つの文とした。
その結果、マルコでは「叱った」相手が「悪霊ども」であったのに対し、マタイにおけるイエスが叱った「彼ら」とは、イエスに従って来て病気を癒された「多くの者」たちを指すことになってしまった。
マタイにおける「多くの者」(ochloi polloi)とは、ユダヤ人以外の民族で構成される多くの「群衆」(ocholos)を指す。
ユダヤ人であるマタイは、ユダヤ民族に関しては、定冠詞をつけ単数で「民」(laos)という語を使う。
この表現には、The「民」と言えば、自分たち「イスラエルの民」のことだ、という意識が働いている。
それゆえ、「イエスエルの民」以外の民を指す場合、ユダヤ人著者は「民」(laos,laois)という語ではなく、意識的に「民族」(ethos)という語を単数形や複数形で用いる。
複数形の「民族」(ethnos)の場合は、「異邦人」の意味になる。
「イスラエル民族」以外は、定冠詞付き「民」(laos)ではなく、その他の「民族」(ethos)は「神の民」(ho laos)ではなく、「異邦人」(ethnos)に過ぎないという思想があるからである。
つまり、ユダヤ民族だけが同胞であり、それ以外の民族は「民」ではない、という選民意識が働いているのである。
マタイにとって、イエスに従ってきた複数の「群衆」(ochloi)を「使徒たち」と同じ「弟子」の一部とみなすことが出来なかったのであろう。
むしろ、マタイではイエスが「彼らを叱った」ことにすることにより、マルコではイエスが叱った「悪霊ども」と同等に扱いたかったのではないかとさえ思われる。
ルカは、マルコの「まとめの句」の並行を「十二使徒の選び」の後に置いたので、マルコの「弟子たちと共に海辺に退いた」という設定を、イエスが「彼らとともに下ってきて、平地に立った」という設定に変更している。
さらに、マタイと同じく、すべての地名ではないものの、いくつかの地名を削り、一部の地名だけを採用した。
マルコでは、「従がう」という表現を「ガリラヤ」出身の者たちに限定して使っているにもかかわらず、「ガリラヤ」は削り、「ユダヤ」、「エルサレム」と「テュロスとシドン」のフェニキア海岸の都市だけを残している。
もしかしたら、ルカはガリラヤもユダヤの一部だと思っていたので、「ユダヤ全土」と言えば、「ガリラヤ」も含まれていると思って、「ガリラヤ」を削ったのかもしれない。
ルカの「ユダヤ全土とエルサレムから」(apo pasEs tEs ioudaias kai ierousalEm)という句が、「弟子たちの大きな群れ」と「大勢の民」の両方にかかるのか、「大勢の民」だけにかかるのか、はっきりしない。
しかし、山から下りて来たのはイエスと十二使徒だけであるから、「大勢の民」にかかると読むものだろう。
ルカとしては、十二使徒以外の者たちは、あらゆる地方から従がってきた。その中には「弟子たち」も大勢いたし、弟子ではない群衆も大勢いた、と言いたいのだろう。
だが、マルコの「イドゥマヤ」と「ヨルダン対岸」も削っているが、「テュロスとシドン」には「海岸地方の」という句を付加して残している。
「イドゥマヤ」と「ヨルダン対岸」はユダヤ地方ではなかったので削除し、フェニキア地方の有名な交易都市であった「テュロスとシドン」は知っている都市だったので「海岸地方の」という句を付加してくれたのだろう。
ルカのエルサレム中心主義が露呈しているのだろう。
マルコにおけるガリラヤ重視のイエスの弟子認識に対して、ルカはユダヤ重視、エルサレム重視の弟子認識を表現したのである。
ルカとしては、十二弟子たちだけが、イエスとともに山から「下って来た」「弟子」であり、その他に、あらゆる地方から出て来た「大勢の民」もいた、と読ませたいのだろう。
ルカにおいて「民」(laos)の用法は、はっきり「イスラエルの」という限定の修飾語が付かない限り、「あらゆる民族の人々」という趣旨で使われている。
「大勢の民」の中には「弟子たち」もいたし、「弟子」ではないユダヤを中心とした地方の者たちもいたが、全体として「大きな群れ」となしていた、と描写したかったのだろう。
ルカのこの個所のNWT(RNWT)は、WTドグマを読み込んでいる。
マルコにおける「弟子たち」が、ルカでは、「彼ら」(「その人」)=「使徒たち」。
「使徒」ではないが「彼の弟子の大群衆」(「大勢の弟子たち」)。
「弟子」ではないがイエスにいやしを求めている「非常に大勢の人々」(「非常に大勢の人々」)。この3種類の人々で構成されている集団がいた、という設定に読ませている。
これは、キリスト教信者を「天的クラス」「地的クラス」関心をもつ「未信者」という三種類の人種に分類するJW信仰を読み込ませたものであろう。
次いでマルコでは、イエスの群衆人気を描写している。
マルコ3
9そして、群衆が自分に押しせまるので小舟を用意しておくように、と弟子たちに言った。10多くの者を癒したので、疾患をかかえた者がみな彼にさわろうと殺到してきたのである。11そして悪霊どもは彼を見ると、彼の前にひれふし、叫んで言った、「あなたは神の子だ」。12そして、彼のことを明らかにしないようにと、悪霊どもを大いに叱りつけた。
マルコにおける「群衆」(ochlos)とは、マタイとは異なり、排他的な意味では使われていない。
むしろ、マルコにおいてイエスに従い、イエスに寄り添うのは「群衆」の方であり、「弟子たち」(mathEtais)には厳しい。
「疾患をかかえた者」の癒しと「悪霊ども」が唐突に並べられているが、当時の信仰からすれば、無関係ではない。
多くの病気や疾患は、目に見えない悪霊の仕業と考えられていたからである。
多くの病気や疾患が癒されたなら、病気や疾患から出て来た「多くの悪霊ども」が存在していることになる。
「悪霊ども」はイエスを見ると、ひれ伏し、「あなたは神の子だ」と叫ぶ。
そしてイエスは、悪霊どもを大いに叱りつける。
これは、どういうことだろうか。
キリスト教神学的には、いわゆる「メシアの秘密」と解釈される。
悪霊はイエスのことを「神の子」と呼んでいるが、イエスはそれに対して「明らかにしないように」という「沈黙の命令」をする。
悪霊たちはイエスがメシアとなるべき「神の子」であることを知っていたので、イエスのメシア性を認めて告白した。
しかし、イエスは自分のメシア性を悪霊が人々に公にするといけないから黙らせた、という解釈である。
この神学的解釈は、マルコ1:23-25「悪霊祓い」の中での、悪霊に対する沈黙の命令発言の際にも論議した。
そこでは「神の聖者」、ここでは「神の子」という違いはあるが、どちらも、イエスが沈黙を命令し、悪霊たちを「叱りつける」(「厳しく言い渡す」NWT、「厳重に命じる」RNWT)という場面である。
WTもこの「メシアの秘密」という神学的解釈を採用している。
*** 塔08 2/15 28ページ 6節 マルコによる書の目立った点 ***
1:44; 3:12; 7:36 ― 自分の奇跡が言い広められることをイエスが望まなかったのはなぜですか。イエスが人々に望んだのは,世間を騒がせるうわさや正確さを欠くようなうわさに基づいて結論することではなく,イエスがキリストであるかどうかを自ら確かめ,その証拠に基づいて自分で判断することでした。(イザ 42:1‐4。マタ 8:4; 9:30; 12:15‐21; 16:20。ルカ 5:14)例外は,ゲラサ人の地方の,悪霊に取りつかれていた男の場合です。イエスはその人に,家に帰って,起きたことを親族に知らせるようにと命じました。イエスはその地域から去るよう懇願されていたので,その後,そこの人たちとほとんど接触を持てなかったでしょう。イエスが善を施した男の存在と証言は,豚が失われたことに関する悪い評判を相殺するのに役立ったと思われます。―マル 5:1‐20。ルカ 8:26‐39。
*** 塔94 4/1 30–31ページ 「作り話を退けなさい」 ***
悪霊たちの証言を退ける
では,もしその話に信ぴょう性があるように思える場合はどうでしょうか。中には,霊あるいは降霊術者がエホバの至上性とエホバの証人たちの真実性を認めていることを伝える経験もあります。クリスチャンはそのような話を他の人に伝えるべきでしょうか。
もちろん,そうすべきではありません。汚れた霊がイエスは神の子であると叫んだ時,イエスは「ご自分のことを知らせないようにと彼らに幾度も厳しく言い渡された」と聖書は述べています。(マルコ 3:12)同様に,占いの悪霊がある女性に,パウロとシラスは「至高の神の奴隷」であり,「救いの道」を広めていると言わせた時,パウロは彼女からその霊を追い出しました。(使徒 16:16‐18)イエスもパウロも,また他の聖書筆者たちも,悪霊たちが神の目的や神に選ばれた僕たちに関して証言することを許しませんでした。
「メシアの秘密」という神学的解釈は、もちろん神のご意思がイエスを経路として統治体に働き、「聖霊」(「聖なる力」)によって啓示された「真理」などではない。
この解釈は、W.ヴレーデの「福音書におけるメシアの秘密」(Das Messiasgeheimnis in den Evangelien,1901,1913,1963)で提唱されたものである。
以下、「原始キリスト教の一断面」(補論その一 いわゆるメシアの秘密の問題)p319-337より抜粋
「ヴレーデの研究の要点を確認しておこう。マルコ福音書の記述には「秘密」に関する動機がいくつかある。悪霊に対して沈黙を命ずる動機、病人を癒した後にそのことを人に告げるなと明する動機、イエスが誰にも知られないように行動するという動機、いわゆる「譬話論」(Parabeltheorie)、すなわち人々に神の国の日義をかくすために譬話が用いられるという動機、そして弟子達の無理解の動機である。
これらの動機はみな共通した動機であり、イエスのメシア性の秘密が保たれるためである、というのがいわゆる「メシアの秘密」論である。
ヴレーデによれば、元来ナザレのイエスはメシア意識を持っていなかった。しかし、キリスト教団はイエスをメシアとしてあがめた。ここに一つの緊張関係が生ずる。そして教団もはじめの中は、イエスはその生前はメシアでなく、復活によって、復活以後メシアになったのだ、と信じていた。しかしその信仰がだんだんと生前のイエスにまで投影され、やがて生前のイエスもメシアとして描かれるようになる。このメシア信仰の二つの段階の過渡期においては、どちらの観念(復活してメシアになったという観念と、生前からすでにメシアであったという観念)も緊張関係を保ちつつ並存する。マルコは初期キリスト教理史上で、まさにこの過渡期に位していた。そしてこの緊張関係を解決するためにメシアの秘密の表象が提出されたのである。つまりイエスは、すでに生前からメシアであったのだが、それが人々に知られることは欲せず復活の時まではそれを秘密に保とうとした、というのである。」
その後、ヴレーデの「メシアの秘密」論は、R・ブルトマンをはじめ、著名な新約聖書学者たちに受け入れられ、20世紀以降広くキリスト教神学者たちに踏襲されていった。
マルコ1:24-25「悪霊祓い」の項でも説明したが、ここでもイエスが悪霊に「彼のことを明かさないように」という命令を与えるに際し、「叱りつける」(epetimEsen)という動詞を使っている。悪霊を「叱りつけて」沈黙させる、というのは、悪霊祓いの定型表現である。
つまり、悪霊を「叱りつけて」黙らせることにより、悪霊の影響力を奪い、追い出すのである。
すなわち、この沈黙の命令とは、「メシアの秘密」を守るためではなく、悪霊追放の手段として、「イエスのことを明かさないように」と大いに「叱りつけた」のである。
悪霊がイエスを「神の子」と呼ぶのも、1:24の場合と同様に、相手の本質を表現する「名前」を呼ぶことによって、相手に対して力をふるおうとするからである。
「イエス」という名前やここの「神の子」、1:25「神の聖者」、あるいは「メシア」や「キリスト」というイエスの本質を意味する表現を発することにより、対象となる人物に呪術的な力を発揮しようとしたのである。
だから、悪霊に対して、自分が力を発揮しようと思うのであれば、悪霊に対して名前や本質を表現させるわけにはいかないのである。
相手を黙らせることによって、相手の呪術的な力をねじ伏せることになるのである。
イエスが「嵐を鎮めた話」(マルコ4:39)も同様である。風に向かって、「沈まれ」と命令して、嵐を鎮めるのである。
ギリシャ語の「霊」(pneuma)には「風」という意味もあることを思い出すなら、沈黙の命令の本質が理解できるのではなかろうか。
別々の異なる意味を持つ語というのではなく、彼らにとってはどちらも同じものを指しているという意識である。
目に見えない空気の流れや人の気質などに与える目に見えない影響力を「霊」(pneuma)と考えていた時代において、マルコは、あくまでもイエスは悪霊を呪術的な地方をもって黙らせ、二度と影響力が及ばないように、追放した、と言いたいだけであろう。
では「悪霊」たちがイエスの前にひれ伏し、「神の子」と叫んだ事にはどんな意味があるのか
この個所は、伝承を記録したものではなく、マルコの編集句である。
マルコがイエスのことを「神の子」であると思っていたのは間違いないであろう。
ただし、マルコは「神の子」という神学的概念によって、イエスの存在を理解しようとしていたのではなく、疾患を癒すイエスを悪霊が呼ぶとすれば、「神の子」と表現するしかないとなかったのであろう。
悪霊という目に見えない超人間的な存在が、それよりもさらに強い力を持つイエスという目に見える存在の持つ本質の偉大さを表現するとすれば、「神の子」と呼ぶ以外にない、ということなのであろう。
マルコにおいて、「神の子」という表現は、3:11、5:7,15:39、「神の聖者」が1:24に登場するだけであるが、受難物語における百卒長の言葉(15:39)を除けば、すべて「悪霊」の発する表現である。
マルコにおいて、弟子たちがイエスを「神の子」と呼ぶことはない。
受難物語は、マルコ自身の手による伝承の編集ではなく、初期キリスト教会が受難物語としてまとめて伝承させたもので、マルコに届いた伝承にあまり手を入れることなく写したものと思われる。
従がって、目に見える人間がイエスを「神の子」と呼んでいても、マルコの意見が反映されているわけではない。
マルコは決して、「メシア」や旧約黙示文学の終末に登場する「神の子」と同じ信仰を抱きつつキリスト教概念と同じ意味で「神の子」と呼んでいるのではないと思われる。
マルコでは、悪霊とのやりとりの中でのみ、「神の子」という概念が用いられており、イエスに対する呼称として積極的に支持している様子はない。
イエスのメシア性を護るために沈黙の命令をして、人間に対する神学的啓示を封印した、とは考え難い。
「イエスのことを明らかにしないように」という悪霊に対する命令は、旧約律法の「神の名をみだりに唱えるべからず」という十戒の命令にも通じるものであろうか。
ユダヤ教の中に生きていたマルコにとって、「神」という語は、みだりに口にしてはならない言葉であった。
イエスの偉大な本質を表現するためには、「神」という語を用い、「神の子」と表現する以外に、方法がなかったのだろう。
「神」の名をみだりに唱えることにより、神を支配下に置くような不敬を示すべきではないのと同じように、イエスに関しても「神の子」という表現がイエスの偉大さの本質を示すものであったとしても、みだりに口にしてイエスを支配下に置くような不敬を示すべきではない、とマルコは考えたのではなかろうか。
マルコは「彼の名」(tO onomati autou)ではなく「彼のこと」(hina auton)を明らかにしないようにと、悪霊どもを大いに叱りつけている。
イエスに関する称号に関することではなく、イエスの本質にかかわる事柄について、沈黙の命令を発していると考えられる。
悪霊に関しても、イエスの本質にかかわる表現を発して、イエスを支配下に置こうとするような不敬はすべきではないとして、悪霊どもを無力化するために、沈黙の命令を与え、大いに叱りつけたのであろう。
マタイは、「イエスのことを明らかにしないように」という沈黙の命令をイエスが「悪霊」に対して発したものではなく、「癒された人々」に発したものとしている。
イエスを「神の子」であることを神が弟子たちに啓示したとしているのは、マルコではなくマタイである。
マタイ16:13-20「ペテロの信仰告白と第一回受難告知」とその並行であるマルコ8:27-33を比較してみるなら、一目瞭然である。
マルコでは、ペテロが「あなたはキリストです」と告白するが、「神の子」とは告白していない。
マタイでは、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と告白する。
マタイが「生ける神の子」という句を付加したのである。
マルコでは、「イエスをキリスト」と答えたペテロを厳しく叱責し、「自分のことを誰にも告げないようにと」叱りつけている。
マタイでは、「イエスをキリスト、生ける神の子」と答えたペテロを誉め、「人間ではなく、天にいる我が父が啓示した」として、天の国の鍵を授けるという幸いを与える。
それから、イエスは「自分がキリストであることを誰にも言わないように」と指示する。
「自分のことを明らかにしないように」というイエスの沈黙の命令を、「イエスがキリストであり、神の子である」という秘密を守るようにという意味に解釈しているのは、マルコではなく、マタイである。
ペテロを中心とする使徒集団による初期キリスト教会が、自分たちのキリスト教の権威を確立するために流布させた伝承であり、マルコは「沈黙の命令」を「メシアの秘密」を守るためのものとはしていない。
「イエスの名に望みをかけるであろう」としているのも、マルコではなく、マタイである。(12:22参照)
マルコでは、ペテロ告白に続く、第一回受難予告において、イエスを諌めたペテロに対し、「サタン」とののしり、「人間の考えではなく、悪霊の考え」であると叱りつけている。
マルコは「沈黙の命令」を「メシアの秘密」と解し、イエスの本質を無視し、「イエスの名に望みをかけよう」とすることを、「悪霊の考え」としているのではないかとさえ思われる。
ルカでは、並行個所にあるマルコの悪霊に対する沈黙の命令が削除されている。
しかし、マルコ1:24-25の悪霊に対するイエスの沈黙の命令を、「神の聖者」を「神の子」に書き換えて、4:41で採用している。
マルコでは、単に「悪霊どもは彼を知っていた」とあるだけなのに、ルカは「彼がキリストであることを知っていた」と付加している。
ルカはマタイと同じく、単に悪霊たちがイエスの本質を知っていた、というマルコの主張に、イエスの本質はイエスがキリストであることにあるというキリスト教ドグマを付加したのである。
ルカは、イエスこそメシアであるという教会の信仰告白は、悪霊さえも承知している事実である、という概念を読み込んだのである。
ルカにおいて、田川訳では「汚れた霊によって群衆化されている者たち」と訳されている表現が、NWT(RNWT)では「汚れた霊に苦しめられている人々」(「邪悪な天使に苦しめられている人々」)と訳されている。
この「群衆化された者」(enochloumenoi)と訳されている語は、「群衆」(ochlos)という語幹に、接頭語(en)を加え、他動詞化し(enochleO)とし、さらに受動分詞(…menoi)とし、(~された者たち)の意味で使っているもの。
ルカは使徒5:16でも接頭語のつかない形で同義に用いている。そちらも、「汚れた霊によって群衆化されている者たち」と表現している。
この動詞は、接頭語付きも接頭語なしの形も、一般のギリシャ語では結構多く見られるそうで、この時代のコイネーでも用例は多く見られるという。
ほとんどすべての場合に「煩わす、迷惑をかける」という意味で用いられているという。
なぜ「群衆」という語が「煩わす、迷惑をかける」という意味になるのだろうか。
おそらく、群衆が一度に押し掛けて来ることは、権力を持つ為政者たちにとって、迷惑な事柄なので、そこから「他人に迷惑をかける」という意味になったものと推定されるそうである。
しかし、これを「悪霊に憑かれた病気」の意味で用いる例は、極めて僅かであり、VGTによるとたった1つだけ「enochleOされた馬」と用例が紹介されている。
「迷惑を蒙っている馬」であるから、「病気の馬」ということであろう。
聖書関係では、七十人訳外典のトビト書6:8「悪霊が誰かをochleOしたら」。
新約偽典トマス行伝1:12「悪霊によってochleOされた」と出て来る。
新約外典は、ルカ以降の成立であるから、ルカの物言いに影響されたものであろう。
だが旧約外典のトビト書の例からして、この「群衆」(ochlos)を語幹に持つ動詞の受身を悪霊による病気に関して用いる例は、ルカ以前からされていた、ということが理解できる。
「悪霊に憑かれた者」という趣旨の言い方は、動詞の受動分詞を使い「悪霊化された者」(daimonizomenous:Mr1:32)とか、「汚れた霊の中にいる者」(autOn en pneumatic akathartO:Mr1:23,5:2)と表現することもできる。
それを、ルカはあえて「群衆」(ochlos)という語を語幹に持つ、新約にはここだけにしか出て来ない語を用いて表現しているのである。
接頭語なしの形(ochloumenoi)もルカの著作である使徒行伝(5:16)の中で登場する。
ルカによれば、「群衆」(ochlos)はイエスにさわり、病気を癒そうとする存在である。
イエスから出て来る力に群がる存在である。
癒しを希求するだけで、イエスの力を奪おうとする、「汚れた霊」「悪霊」のような存在が「群衆」なのであろう。
特権階級の権力指向者集団が群衆を毛嫌いするのと同じく、ルカの「群衆」(ochlos)嫌いが選ばせた表現が、「汚れた霊によって群衆化されている者たち」(hoi enochloumenoi hypo puneumatOn akathartOn)という表現なのであろう。