マタイとルカの終末預言に関連した「ゼカリヤ」とは?

 

マタイとルカが70年のユダヤ戦争後に書かれたという聖句からの証拠をそれぞれ一つづつ挙げておく。マタイ23:35-36とその並行記述であるルカ11:50-51である。

 

マタイ23:35-36(NWT)

「こうして、義なるアベルの血から、あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した、バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで、地上に流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。あなた方に真実に言いますが、これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう」。

 

ルカ11:50-51(NWT)

「こうして、世の基が置かれて以来流されたすべての預言者の血がこの世代に対して要求されるのである。アベルの血から、祭壇と家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまでが。そうです、あなた方に言いますが、それはこの世代に対して要求されるのです。」

 

 

この、「バラキアの子ゼカリヤ」についてである。

マタイによると、「義人」とされている「バラキアの子ゼカリヤ」は「聖なるところと祭壇の間」で殺されている。

同じようなことが、「この世代」に臨む。

この預言をイエスがサドカイ派とパリサイ派のユダヤ人に語ったとしている。

 

ルカは、「バラキアの子」とせず、単に「ゼカリヤ」とし、「義人」ではなく「預言者」の一人として「ゼカリヤ」を紹介している。

律法に通じたパリサイ人と預言者を殺したユダヤ人の子孫にイエスは語り、同じように「この世代」に血が要求している、と述べている・

 

 

この「バラキアの子ゼカリヤ」とはいったい誰であろうか?

真っ先に思い浮かべるのは、預言者の「ゼカリヤ」のことであろう。

 

確かにゼカリヤ1:1には、「バラキアの子ゼカリヤ」とある。マタイにはないが、ルカが述べた「預言者」である。70人訳の綴りで「Barachiosの子Zacharias」とある。綴り字もあっているように思える。

 

しかし、この「預言者」は、殉教の死など遂げてはいない。

 

旧約聖書中に出てくる「ゼカリヤ」で殺害されたのは、歴代第二24:20-22に出てくる「ゼカリヤ」だけである。「・・・・・祭司エホヤダの子ゼカリヤ・・・・・・・に対して陰謀を企て、エホバの家の中庭で王の命令により彼を石打ちにした」(NWT)

 

しかし、この「ゼカリヤ」はマタイが引用した70人訳では、「Azarias(アザリヤ)と呼ばれている。父親も「Iehoiada」(エホヤダ)ではなく、「Ioda」(イド)と呼ばれている。どう考えても、「Barachios(バラキア)という綴りと結びつくとは考えにくい。

 

しかも、この「ゼカリヤ」(アザリア)は「預言者」ではなく、「義人」かもしれないが、「祭司」である。

 

イエスに関する出来事をなんでも旧約聖書の成就として説こうとするマタイであるのに、旧約聖書中にぴったり当てはまる「ゼカリヤ」は見当たらないのである。

 

 

ルカに関しても同じである。

「バラキヤの子」とはしていないが、殺害された「ゼカリヤ」は「預言者」ではなく「祭司」である。

やはり、旧約聖書中にぴったり当てはまる「ゼカリヤ」は見当たらないのである。

 

 

マタイが知りえた人物で「Barachiosの子Zaacharias」(バラキアの子ゼカリヤ)」とは、一体誰か?

 

第一次ユダヤ戦争(AD66-70年)の時に殺された人に「Zacharias hyios Baroushou(バラクの子ゼカリヤ)」という人物がいる。

 

ヨセフスの「ユダヤ戦記」4:334-344に紹介されている、ユダヤ戦争の中核を担った「熱心党」によって殺された人物である。

この「ゼカリヤ」は金持ちでありながら、自由を愛する人物だったという。革命戦士の熱心党兵士たちには嫌われた。排他的なファンダメンタリストには格好の餌食であった。神殿に呼び出されて、熱心党の一方的軍事「裁判」にさらされ、神殿で殺された。AD67-8年のことである。

 

マタイ23:35によると、「ゼカリヤ」は「神殿と祭壇の間で殺された」とされている。事実関係は、この「ゼカリヤ」にぴったりである。

 

ただし、ヨセフスの「ユダヤ戦記」の写本には、ゼカリヤの父親の名前が微妙に異なっているものがあり、「Bareisの子」とするものや「Bariskaiouの子」とするものがある。

 

熱心党に反対する側からすれば、この「ゼカリヤ」は、正しい人だったのに殺されたのである。ヨセフスは「義人」という言葉は用いていないが、非常に好ましい色調でこの人物を紹介している。

 

もちろん、イエスがこの人物を知っていたはずはないし、イエス自身がこの言葉を語ったという証拠もない。

マタイが自分の知識の中にある「殺されたゼカリヤ」という人物のことを、この節に読み込んだのであろう。

ただし、マタイは福音書の中の地理的知識に関して矛盾する記述をしている。それゆえ、パレスチナの人物ではない可能性が高い。神殿での描写からすると多分エルサレムにも行ったことがないのかもしれない。

何となく噂話でこの人物のことを聞いていたのが、「預言者」は「義人」であるから、頭の中で預言者ゼカリヤと混同したものと思われる。

イエスの一方的冤罪「裁判」を思い起こさせたのかもしれない。

 

なお、ルカは11:50で「義人」ではなく「預言者」としている。

 

マタイ23:36の「これらことのすべてがこの世代に臨む」とは、直前の「義の血のすべてが臨む」を繰り返す言い方であろう。つまり、「これらのことすべて」の責任が今の世代に降りかかる。だから、ユダヤ人の犯してきた悪事のすべてが今の世代において神によって精算されると言いたかったものと思われる。

マタイとしては、70年のエルサレム陥落を頭に置き、エルサレム崩壊は、ユダヤ人に対する、神による罰だと言いたかったのだろう。

 

いずれにしても、マタイ福音書が書かれた年代が、第一次ユダヤ戦争以前ではあり得ない。早くても、ゼカリヤが殺された67-8年以後、70年のエルサレム陥落以後であるのはこの聖句から明らかである。

 

並行記述のルカ11:51も同じ理由で、AD70年のエルサレム陥落以前の成立年代はあり得ない。

 

マルコは「ゼカリヤ」についても、「この世代」に臨む災いについての記述は見られない。「ゼカリヤ」の死も「ユダヤ戦争」中の出来事も知らなかったものと思われる。

 

したがって、AD70年以前に書かれた福音書は、「マルコによる福音書」一冊だけである。

 

WTは共観福音書をすべて、ユダヤ戦争以前の成立としている。それは終末預言信仰を教理の柱としている以上、「終わりの日」の預言が一世紀に成就している必要があるからであろう。ユダヤ人の宗教体制の滅びをイエスは預言していた。その第一次的成就が西暦70年のエルサレム神殿崩壊である。第二次成就がハルマゲドンであり、現代に成就する。

その教理が信憑性を持つためには、どうしても共観福音書は、西暦70年のエルサレムの前に書かれていなければならないのである。WTの教理が必要とした41年説なのであろう。聖書の歴史的事実が証言しているのではなく、組織の教理が41年説を証言させたのである。明らかに意図的、作為的な捏造である。聖書の真実と真理はどこに行ってしまったのだろうか。

 

もっとも、この種の終末思想は、1世紀から脈々と続いている。各時代に、さまざまな予型と対型が語られ、信者を翻弄してきた歴史がキリスト教にはある。終末思想は、キリスト教に限らず仏教にもイスラム教にも他の宗教にも存在するが・・・。

 

繰り返すが、イエスの終わりの日に関する預言の2度目の成就を現代に適用するために、必要な成立年代が、マタイ41年説なのである。

 

予型と対型の教理を捨てた現在となっては、成立年代が70年以前であろうと以後であろうとあまり意味を持たないが、終末預言を撤回しない限り、撤回できないであろう。新しい光が注がれるのは、まだまだ先のようである。少なくてもWTが宗教的真理を持っていないことだけは確かなようである。

 

 

最後に、共観福音書とマタイ、ルカの「ゼカリヤ」に関連する文脈を調査していた時に発見した推理を一つ。

 

マルコ12:40には、「偽善的な書たち」に関して、「より重い裁きを受ける」とする記述がある。13章の「終りの日の預言」の直前の位置にある。

マタイ23:35-36も、24章の「終りの日の預言」の直前の位置にある。

ルカ11:50-51は、12章の「パリサイ人のパン種」の話の直前にある。

 

マタイは「ゼカリヤ」に関する記述をマルコを参考資料にしながら、「終わりの日の預言」の直前に入れている。つまりクリスチャンを迫害したユダヤ人たちに、70年の滅びを意識して、「同じことがあなた方に臨むぞ」とイエスの言葉として、腹いせをしているのである。

 

ルカの神学は、すべての人は罪人であり、悔い改め、クリスチャンになって救いを得るというもの。裏を返せば、自分が罪人だと認めて、悔い改め、クリスチャンとならなければ救われないというのが基本テーマ。

ルカには、無実の罪で非業の死を遂げた「ゼカリヤ」と同じく「冤罪裁判」でユダヤ人の手で殺されたイエスとが重なったのであろう。

21章の「終わりの日」の預言の直前ではなく、11章のイエスが偽善を糾弾した「パリサイ人のパン種」の直前に、「ゼカリヤ」の話を挿入することにしたのはそのためであろう。

 

これらを総合して考慮すると、マタイとルカはマルコ書を脇に置いて、Q資料やM資料、L資料を参考に福音書を書き上げていった姿が目に浮かぶ。

 

 

  ヨハネによる福音書に関しては、二世紀後半の写本に他の福音書と一緒に発見されたものがあるし、グノーシス派の影響やモンタナス派によるヨハネ福音書正典採用の歴史を考慮して、1世紀後半の成立という解釈は妥当なものと思われる。

 

 

さらに詳しい情報を知りたい方は田川建三著「書物としての新約聖書」をご覧ください。